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いつまでも浦和レッズ

ホームゲームの思い出 

2016年08月08日 ナビトモブログ記事
テーマ:思い出

8/6(土)の湘南ベルマーレ戦が、レッズの公式戦ホームゲーム500試合目だった。

このメモリアルゲームにレッズは4対1(前半:2対1)で快勝した。
先制点は関根貴大選手が決めたものだったが、そのアシストはGK西川周作選手から出された、70メートルの超ロングキックだった。
湘南DF陣が油断した事もあるが、ゴール前にはスペースが空き、そこへレッズの関根選手が走り込んだ。その動きを見逃さなかったGK西川選手が正確にロングキックを送り、逡巡した相手GKより一瞬早くボールに触れた関根選手のヘッディングシュートが決まった。

さて、ホームゲームの話だが、現在のホームスタジアムは「埼玉スタジアム2002」(観客者収容数6万人超)だが、その前は、主に「駒場スタジアム」(1995年の3次改修後、観客者収容数21,500人)だった。

主にと言ったのは、「駒場スタジアム」以外にもレッズのホームゲームとして開催されたスタジアムがあったからだ。

私が観戦した会場についてのみ言及するが、「駒場スタジアム」に代わってホームゲームを開催したのは、大宮公園内のサッカ−場と国立競技場(国立霞ヶ丘競技場)の2会場だけなので、結局はすべてについて話すことになる。

いずれも、レッズ・サポーターの数が多く、観戦したい人を収容しきれない問題(集客と安全)を解消しようとしたからだったと思う。

観客者収容数を増やすため、「駒場スタジアム」は、何回か改修された。
シーズン中に改修が行われた時には、県営大宮公園内のサッカー場(現在の大宮アルディージャのホーム、「NACk5スタジアム大宮」:当時、大宮アルディージャは無かった。)がホームになった。

また、観客者収容数が多い国立競技場(観客者収容数5万人超)で開催する事もあった。
だから、東京の代々木は浦和市(現在:さいたま市)に行くような感覚であった。
浦和レッズ以外にも、本拠地のスタジアムの観客者収容能力が小さいチームは国立競技場で開催する事がある。
(現在は新国立競技場建設のため、解体されている。)

「駒場スタジアム」には、レッズがJ2に降格する事が決定した1999年最終戦(Vゴールで勝ったが、90分で勝たないと、降格。)も駒場スタジアムにいた。
翌2000年J2の最終戦、レッズが勝利し、翌年J1に復帰が決定した時も駒場スタジアムにいた。

色々あったんだなあと、時の流れを感じる。
「埼玉スタジアム2002」の入場者数が3万人を割ると、「少ない。」と感じる。
近年の成績がJ1上位争いで、“J2に降格する、崖っぷちの戦い”をする事の心配する事に縁が遠のいたのが一番嬉しい。



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