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音楽HP作りと自然探訪と…
3月21日 自然愛好友の会オフ 朝比奈切通・名越切通(5/6)
2016年04月23日
テーマ:自然探訪
[名越切通から久木地区妙光寺へ]
洋館の裏を抜けると森の中の下りになり、直ぐに名越切通しの東側に、階段状に作られた平場に出る。平場は数カ所に別れ間に溝が走り、小さな橋が架けられていた。鎌倉幕府防衛上の陣地の跡だったのだろう。平場を抜けると浅い谷状地形の所で、鎌倉市の大町地区から上ってくる歩道と合っする。ここが名越第3切通しになる。降りてきた道の反対側にも平場があり、そちらは西平場と名付けられていて、その平場に行く道もあったが、今回は立ち寄らなかった。第3切通しからの名越切通しの道は、しばらく山腹を巻く道となる。やや泥濘んでいるところもあった。
40mほど巻道を行ったところに、“まんだら堂やぐら群”への上り口がある。このやぐら群は、遺跡保護のため、年に3回の公開があり、この日は、紀行の冒頭に書いたが、平成27年度の最後の公開日に当っていた。2時10分、入り口のテントで逗子市の緑のジャンパーを着た職員から、名越切通のパンフレットを受け取って、先ずはやぐら群のかなりの範囲を見下ろせる展望所に上がった。ちょうど市職員が、15名ほどの団体を前にやぐら群の説明をしていたので、その団体と一緒にしばらく話を聞いた。このやぐら群は、削られた岩壁に2m四方程度の横穴が150穴ほど何層にも掘られている。最も高い所は4層になっていた。それぞれのやぐらの穴の中には高さ1mから1.5mほどの石塔(五輪塔)が並べられている。風化で横穴間の仕切り壁が崩れ去っている箇所や、近年崩落したらしく、岩塊が転がり、周囲の岩壁は灰緑に苔むしているが、茶褐色の岩肌が露出している場所もあった。説明のあと、先行団体との間で質疑が続いていたが、一足先に展望所を下り、やぐら群の前の歩道を巡った。やぐら群は展望所からは見えない場所にもある。やぐら群の前は平地で史跡として管理する前は畑になっていたそうだ。発掘調査で建物の痕跡は見つかっているが、まんだら堂の記述古文書などは発見されておらず、往時の姿は謎のままらしい。
2時19分、まんだら堂やぐら群を後にする。名越切通道に戻って少し進むと第2切通しがあるが、朝夷奈切通ほどの規模ではない。その先で小坪階段口に下る道を分け、また少しで幅1mほど岩壁の高さ10mの第1切通しがある。この第1切通しの手前に右手の山に上る道が付けられていた。展望が効くかと階段を上がってみた。相模湾が見えたが、手前の薮に邪魔され良い眺めは見られなかった。現在の狭い第1切通しの路面の下60cmには江戸時代の路面が隠され、今より幅も広く側溝もある道の存在が、発掘調査で分かっているそうだ。
第1切通しから40mほど下った2時26分、新興住宅地の亀が岡団地に出て、名越切通の古道は消える。団地の外周路を逗子駅方向に下る。途中、崖の金網フェンス越しに、“サリーちゃんの家”の洋館全体と大切岸の岩壁の一部、宝性寺の墓地が、JR横須賀線と県道が通過しているはずの深い谷越しに望める所があった。そこから団地の家の間を200mほど下った地点に急な坂道で県道に下る道への分岐があり、その道を下る計画をしていたのだが、指導標も無い交差点で通り過ぎてしまった。右手が山の擁壁で左は住宅が立ち並ぶ谷状になった道を下り、2時43分バス通りに出て、逗子の中心市街の方向に左折した。坂を下って市街地に入り、バス通りを離れて住宅地の中を歩く。2時57分、県道311号鎌倉葉山線に出て交差点信号を渡った。県道を行けば、逗子駅まで800mほどの地点だったが、この後、久木地区の妙光寺に向かう計画だった。
県道を渡ったあと市街地を真北に向かいJR横須賀線の踏切を渡る。県道205号線のX字交差点を直進し道なりに東方向に向きを変える。3時4分、住宅地の中の十字路に出た。左折して150m程歩くと、前方奥に岩殿寺が見えた。坂東三十三観音霊場の寺で、立ち寄りたい気もあったが、更に150m程先の坂の上に位置している。名越切通から30分ほど、住宅地の中を歩いて、やや疲れも感じていたので、中途だったが岩殿寺への往復は止めて、先程の十字路に戻り、そこまで歩いて来た道の延長上に進む。180mほど行くとT字路になり左折、更に150m程行くと久木小学校の裏に出た。立ち寄る予定をしていた日蓮宗妙光寺は、小学校の裏だった。山門を潜って本堂の前まで行って、本堂の前に並べられた縁台に腰を下ろした。3時17分だった。妙光寺はなかなか立派な寺だった。縁台の上には桜の枝が伸びていて蕾が膨らんでいたが、開花まではもう数日掛かりそうだった。10分ほど静かな境内で休憩をした。
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写真は、「まんだら堂やぐら群と名越第一切通」「妙光寺」
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