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2015年10月01日 外部ブログ記事
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 水曜日はお稽古の日


 写真は金沢駅。先週末金沢に出かけた際に撮影しました。これから当面「金沢観光」の写真をお見せします。
 
 午前中の囲碁学苑は先週振り変え授業を既に終え、昨日はプラチナ・ギルド アカデミー第三週の講師をお願いしている、日本フィランソロピー協会の高橋理事長を新大手町ビルに訪ね、講演内容の事前打ち合わせを行いました。また、同財団との今後の協働の可能性についても議論してきました。

 午後は飯野先生の謡曲レッスン。「景清」の第五回目です。後半はあたかも歌舞伎仕立てで、舞台劇に要求される聞かせどころの多い物語でなかなかの難曲です。

 夕刻は観世能楽講座を受講。会場はは東中野の梅若能楽楽院会館。テーマは能「融」。 講師は東大教授(日本中世文学)の松岡心平、並びに明治大学教授(法哲学)土屋先生。ワーク・ショップは観世清和(シテ方)並びに梅若流の森(ワキ方)。 能「融」の外力は次の通り。

 「秋の名月の日。都に上った東国の僧が、六条河原院まで来たところ、ひとりの汐汲みの田子を背負った老人が現れます。六条河原で汐汲みとは、と訝る僧に、老人は、この河原院はかつて河原左大臣といわれた源融(みなもとのとおる)が、陸奥千賀の塩竃の景色をそのまま都に移して作って住んだところだと謂れを語るうちに、月が出てあたりを照らし、趣深い秋の夕景色がふたりの眼前に広がります。
庭の景色を眺めつつ、僧と老人がなおも言葉を交わします。融は、毎日難波から潮を汲ませて、院の庭で塩を焼かせて一生の楽しみとしたが、後を継ぐ人もなく、この河原院は荒れ果ててしまった……。そう嘆く老人を慰めようとしたのか、僧は都の山々の名所を教えてほしいと頼みます。あちこち挙げながら、一緒に仲秋の名月を愛でるうち老人は、つい長話をしたと言って水を汲む様子を見せた後、姿を消してしまいます。
近くに住む者から、河原院と融の大臣(おとど)の物語を聞いた僧は、先ほどの老人が大臣の亡霊だったと思い当たり、眠りにつきます。すると在りし日の姿で融の亡霊が現れ、月光に照らされながら華麗な遊楽に乗って舞うのでした。融は、時を忘れたかのようにこの月夜に興じていましたが、夜明けとともに、名残惜しい面影を残して、再び月の都へ戻っていきました。」

 源融(みなもとのとおる)は、嵯峨天皇の十二皇子で、「源氏物語」のモデルになったとも言われる人です。臣籍に入り、左大臣まで務めますが、そのころ台頭してきた藤原氏との政権争いに負け、六条河原に大邸宅を造営し、余生を風雅のうちに過ごしました。この能でも語られるように、陸奥の塩竃の風景を愛し、これを自宅の庭に模して、毎日難波津から潮水を運ばせ、塩を焼いたと言われています。その死後も、河原院への執着が断ちがたく、幽霊となって現れ、後の所有者である宇多上皇の御息所を悩ませた話が宇治拾遺物語に出てきます。

 この能楽講座では、松岡と土屋が対話形式で「名所教え」で世阿弥の「遠見」の手法、また、足利義満への思慕を融大臣(おとど)を通して描いた「遊学」の手法を語ります。ワーク・ショップも素晴らしいものでした。

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