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パトラッシュが駆ける!

ぱくる 

2015年09月11日 ナビトモブログ記事
テーマ:テーマ無し

この言葉、今年の流行語大賞に、ノミネートされるのではあるまいか。
「あれ、ぱくりだよな」
目下頻りに、人々の口の端に膾炙されている。

疑われた側だって、負けていない。
「ぱくっていません」
ネクタイを締めた、大の男が、衆人環視の記者会見において、
当然のように、この言葉を口にする。
「模倣する」「剽窃する」「盗用する」など、
幾つかある同義語の中で、彼が「ぱくる」を用いたのは、
選択の結果なのか、それとも、他語を知らなかったのか。
私にはわからない。

私の辞書(広辞苑第五版)には、
「大口を開けて食べる」「金品をだましとる」とある。
もう一つ「逮捕する」という意味もあるが、これはこの際、
関係ない。

他人のものを、ちゃっかりわが物とする際に、
この「大口」が効いている。
口を開け、ぱくりと飲みこむ。
この擬態がいい。
今は、感覚的な表現が好まれる。
婉曲よりも、直截が尊ばれる。
そう言う時代なのであろう。
それで多用されるのであろう。

しかしながら、言葉とは、実態を如実に示せば、
それで良しとするものでもない。
さながら服装と同じく、そこに品性というものが求められる。
特に、然るべき地位にある人間の場合だ。

かつて、オウムの事件が、世上を騒がせていた頃、
当時の警察庁長官、國松孝次氏が銃撃され、重傷を負った。
後に、当時の模様を振り返り語った。
「これはやばい」
と一瞬思ったそうだ。
これが伝えられ、世間の失笑を買った。

「やばい」は元々、法律を犯した側の者が、
もしくは、犯そうとする人間が、司直の手が伸びたのを察知し、
逃亡を図る際に用いる隠語であった。
それを、取り締まる側の、それもトップの位置にある者が用いた。
話が逆ではないか。
如何に危急の際とはいえ・・・である。
いや、危急の際だからこそ、咄嗟に本音が出たのだという説もある。
言葉は、良くも悪くもその人格を、如実に表すことになる。

なお、その銃撃事件は、未解決のままだ。
「犯人逮捕に至らず、残念だ」
とでも言ってくれればいい。
「とうとう、ぱくれなかった。これが心残りだ」
なんてことを言ったら、国松さん、またしても恥をかくことになる。

 * * *

奈良朝の頃までの日本語は、土語、即ち土着の人々の言語に過ぎなかった。
この国は、言語的には、未開の状態にあったと言っていい。
その後、漢語が輸入されるようになり、日本語は格段に豊かになった。
「愛」や「義」などの抽象的概念も、表現出来るようになった。
漢字と言う表意文字を得たことが、この国の言語生活を、
根底から変えたことになる。

時代が下り、漢語こそが、尊ばれるようになった。
さながら、何でも横文字にしたがる、昨今の風潮にも似ている。
漢語は確かに、短くて響きが強い。
単刀直入に、それこそ人を刺すがごとくに、事物を簡明に表すことが出来る。
会話においてはともかく、文書にした場合、漢語なくしては成り立たない。

それは、現代にも及んでいる。
一方において、何時の世にも、権威に反発する気分がある。
特に若者だ。
権威や秩序の、一翼を担う言語において、反抗を試みる。
手垢にまみれた既成語など、唾棄するほどに、用いたくない。
そこで、新しい言葉を試みる。
最初は隠語として、それが俗語となり、遂には世上に顕在化する。

そんな例が、数限りなくある。
もちろん消えて行くものもある。
隠語もまた、時の淘汰に、耐えられないことがある。

そして、しぶとい奴ほど、よく残る。
ということもある。
「やばい」も「ぱくる」も、その品性の無さを逆手に、
開き直り、生き延び、とうとう市民権を得てしまった感がある。
それもそうだ。
警察庁長官が使い、著名なデザイナーが愛用している。

膝の擦り切れた、ジーンズを喜んで穿く風潮がある。
わざと汚い言語を用いるのは、あれに似ているかもしれない。
一種の偽悪趣味と言えなくもない。

「ぱくる」は、どうやら市民権を得たようだ。
しかし長寿を全うするかとなると、話は別だ。
ジーンズの例がある。
あれは、世間一般の、秩序美に対する反抗であって、
たまにやるから価値がある。
若者の誰もが、やるようになったら、途端にその意味を失う。

言葉も同じだ。
「ぱくる」
元々が、美しい言葉ではない。
今年の流行語大賞を取り、それを汐に、退潮するのではないか。
だからことさら、その流行に、目くじらを立てることも、
ないのではあるまいか。



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軽い

パトラッシュさん

プラチナさん、
おっしゃる通り、言葉が軽んじられています。
昔の方が、含蓄があり、ずっと豊かでした。
今は文字通り、葉っぱのようになっております。

2015/09/13 15:18:00

仰せの通り

プラチナさん

他人の事は言えませんが、時と共に人と人の間を繋ぐ大切な言葉が軽んじられて来ている様な気がします。
意味合いは違うかも知れませんが、昭和30年以前の映画やドラマを観る度に、近所や家庭での会話を懐かしんでおります。

2015/09/13 12:51:48

確かに

パトラッシュさん

我太郎さん、
擬態語としての「ぱくり」は、なかなかよく出来ています。
しかし「ぱくりました」とは、ストレートすぎて、容易に言えないでしょうね。
その場合は「トレースしました」とでも、曖昧な表現にするのでしょう。
俗語も、世間の多くが使えば、もうしめたもの。
但し、NHKのアナウンサーは使いませんけれど(笑)

2015/09/11 20:48:31

世につれ

我太郎さん

パクリは意識せずに使っていますが、我が身に関係ないことゆえ、パクリましたは使ったことがないです
ヤバイは結構使っています
國松孝次氏の件は、考えてみたら確かにおかしいですね
世間一般よく使われ、受け手も抵抗なく聞いているのではないでしょうか。
世間で使っているから使うという人がほとんどの様に思います

2015/09/11 18:26:13

言葉は

パトラッシュさん

SOYOKAZEさん、
そうですね、TPOをわきまえないといけませんね。
その場にふさわしい服装、そして言葉使い、これが大事だと思います。
SOYOさんなら、それが、上手に出来るでしょう。
菩提寺の住職と話す場面を、屏風の陰に隠れ、拝見したいくらいです。
仲居さんの姿も見たかった・・・(笑)

「ら」抜きについては、また稿を改めて、書きます。
私も、気になってならない一人です。

2015/09/11 14:26:37

言葉も衣服のように

さん

パトラッシュ師匠 こんにちは。

私は「ぱくる」も「盗用する」も使います。
TPO、で服装も替えます。
家でハーフパンツにTシャツ、素顔で過ごす感覚と、ワンピースにパンプスで、少しだけ改まった外出との違いのように。

親しい友人と話す時と、菩提寺の住職と話す時は、言葉遣いも変ります。

流行言葉の寿命は短いです。
美しい日本語は永遠だと思いたいのですが、最近は、「ら」抜き言葉が氾濫しています。
シニアの世界でも、半数以上の方が使っていらして、これだけは抵抗を感じ憮然としています。

2015/09/11 11:01:28

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