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人生いろは坂
地球一周の旅から10年(12)
2014年11月23日
テーマ:テーマ無し
南アフリカ共和国はとても魅力的な国だ。地球の最果てとも言える地域に忽然と現れた近代的な街だ。様々な色に塗り分けられた
建物が、この国の気候風土とマッチしていてとてもきれいだ。木々や草花も多い。そして私たちが訪れた時はさして暑くはなかった。
しかし、この市街地の美しさは、この街の一部でしかない。少し郊外へ移動すると、そこは粗末なバラック建ての建物(?)が
延々と続く。一日1ドルにも満たない収入と言う極貧地帯である。そして更に郊外へと移動するとブドウ畑が広がりワインセラーが
あった。このワインセラーは白人が経営していた。アパルトヘイト(人種隔離政策)がなくなってからは黒人が経営するブドウ畑や
ワインセラーも出来始めたとのことであるが、まだまだ人種隔離政策時代の後遺症は続いている。
南アフリカのことは知らなくてもマンデラ大統領のことを知らない人は少ないだろう。ケープタウンのシンボル的な存在である
テーブルマウンテンの山頂からはマンデラ氏が長く幽閉されていた刑務所のある島が見える。海からわずかにせり出したような
平らな島である。マンデラ氏が居なかったら、この国の人種隔離政策は今もなお続いていたかもしれない。
教育の力は大きい。今この国にとってもっとも急がれるのは教育であろう。差別と極貧の中での就学率は実に悪い。教育を受ける
ことが出来なければ、それ相応の職に就けない。職を得ることが出来なければ貧しい生活はいつまでも続くことになる。悪の連鎖を
断ち切るためには教育が最も急務を要することだ。
日本のように義務教育制度があって就学率の高い国では想像も出来ないことだが、ブラジルのリオデジャネイロを訪問した時も
そうだった。この国でも義務教育制度ではなくて就学率が低い。文字の書けない人も多いらしい。従って貧困と貧困から来る犯罪が
実に多い。就職の出来ない人が生きていくためには犯罪を犯すしか残された道はない。
日本が外国の植民地にならなくて済んだのも江戸時代から続いてきた教育のお蔭だと言われている。高等教育や専門教育は必要
なくとも「読み、書き、ソロバン」は必要だ。人が人として生きていく上での最低限の教育である。今日的、学校の問題はあたら
時代に左右されるような「ゆとり教育」だとか「英語の早期教育」などと言う馬鹿げた政策を学校に強要していることではなかろうか。
「読み、書き、そろばん」という最も基本的なことがないがしろにされて「ゆとりだ、英語教育だ」と言っていて良いのだろうか。
大学生になってさえ分数が出来ないものや漢字の読めないものがいると聞くと、嘆かわしさを通り越して悲しくなってしまう。
学校は小学校、中学校でしっかり学ばせればいい。そして勉強よりは何かを作りたいものには、そうした修行をさせれば良い。
人には向き不向きがある。何が何でも高校や大学に進学する必要はないと私は考えているのだが。
話をアフリカ大陸最南端のこの国の貧困の話に戻そう。国民の大半を占める黒人を貧困から救うためには教育が必要だ。教育さえ
行われ「読み、書き、ソロバン(計算)」が出来るようになれば、この国の豊富な資源を元に様々な産業を興すことが出来る。
ケープタウンのシンボルであるテーブルマウンテンは、この地域独特の地層によるものだ。従って、テーブルマウンテンに限らず
ケープタウン周辺の山々はみんな特異な形をしている。頂上が平たくなったこの山は、山の中腹くらいからケーブルカーで登れる。
むろん歩いても登れぬことはない。山頂からの景色はまさに絶景だ。そして山頂には、この国の象徴的な植物であるプロテア種が
種々様々な形と色をした花を咲かせている。
実はこの花がこの国の象徴だと言うことを知ったのは市の郊外にある植物園を訪れた時だった。それこそ何十種類と言うプロてアが
収集され、今を盛りと咲いていた。実に美しい花である。最近、日本国内でも時々目にするようになった。
そして更に喜望峰やケープポイントに向かった時だった。広大な地域一帯に広がるお花畑がプロテイン種を中心とする植物群で
あった。素晴らしい景観であった。ケープポイントも喜望峰も最南端に位置する場所だと言うだけであって、さして何と言う事も
ないところだった。
ただ、ここがアフリカの最南端であり、南極海から流れてくるベンゲラ海流によって夥しいプランクトンが生まれると言う地理的
条件に恵まれていて豊かな海であった。南極の海底から湧くように上昇してくるミネラル分豊かな湧昇流は、この国の海にとてつもなく
豊かな実りをもたらしている。
海流によって運ばれてくるミネラル成分を元に植物プランクトンが発生し、それを食べて動物プランクトンが育つ。そのプランクトンを
食べて魚が育つと言うわけである。海岸には昆布の一種が無造作に打ち上げられていた。また、豊かな海は南アフリカオットセイや
ケープペンギンなどの海洋生物を養うことが出来るだけの命あふれる海であった。
ケープポイントから見下ろすとクジラが泳いでいた。豊かな海がクジラのような大型動物を養っているのである。この豊かな海は
隣国ナミビアの海岸まで続く。次回は砂漠の国ナミビアについて紹介しよう。
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