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合元寺 中津市 

2014年11月05日 外部ブログ記事
テーマ:テーマ無し

       合元寺                                           赤壁の由来

              鐘堂

           結構いい造り

             庫裏まで赤
         庫裏の赤は少し怖い

40名余りの家臣を引き連れた鎮房は、黒田氏の治める中津城下へ入り、一旦合元寺へ止宿する。そして中津城へ赴くのであるが、許されたのは鎮房と小姓の2名だけ。            
あとの家臣は合元寺に留め置かれた。            
これは黒田側の謀略であり、鎮房は城内で騙し討ちに遭って斬られ、さらに黒田勢が合元寺にいた家臣を急襲して全員を討ち取ったのである                        


 

合元寺では凄まじい戦闘が繰り広げられ、かなり凄惨な光景となったらしい。寺の壁一面が血糊や血飛沫で赤く染まったのである。その後、寺がいくら壁を塗り替えても白壁から血が滲み出てくるために、結局赤く塗るしか隠せないようになったということである。

 

             壁の赤

 

 

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