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中井悠美子「四季の絵文日記」

Vol. 555 晴れの国「岡山」へ・小トリップ! 

2014年10月22日 外部ブログ記事
テーマ:テーマ無し



   
   
   18日〜19日。
   晴れの国岡山へ「小トリップ」
   関東から三人・岡山の方が三人・大阪からのわたくし・・・計七人!

   晴れの国岡山は面目躍如。こよなく晴れて雲一つない青空で出迎えてくれました。
   桃太郎は秋の花「コスモス」の中。、眩しそうです・・・

   10時半に到着・・・早速岡山城へ。駅前から電車で「城下」まで向かいます。
   岡山には市電が残っています。情緒のある電気鉄道・・・珍しく「くろ」 
   この他に「ピンク色」「猫の耳付き・猫電車」など、工夫があって思い白いよ。
   
   

     
   電車は新しく、WOODな感じが柔らかい。つり革も「WOOD」

   で、その後はトコトコ歩いて岡山城へ。
   
   岡山城はその黒い姿から別名「烏城・うじょう」と県民に呼び親しまれています。
   実は岡山は私の故郷なんです。今回はオフ会をかねて、倉敷をメインの観光旅行に参加させて頂きました。

   岡山は(慶長8年(1603年)、姫路藩主・池田輝政の次男・忠継が28万石で岡山に入封し、
   ここに 江戸期の大名である池田家の治世が始まったということです。
  (1613年)慶長18年には約10万石の加増 を受け38万石となりました・・・石高としては大きいですよねえ。

   
   
   
   
      




荒手茶寮は、昭和8年、岡山市の旭川にかかる、旧相生橋のたもと、古京町にあった、岡山藩家老伊木家の屋敷(当時は荒手屋敷と呼ばれていた)を利用して、のれんをかかげたのが始まりです。創業者の堀江文一(大塚文一)は、宮内庁の大膳職を務めた後、岡山の料理業の発展を希望してこの地にて営業を始めました。

昭和9年に岡山を襲った室戸台風で、水害に遭い、旭川の河川を改修することになり、移転を余儀なくされました。
昭和13年に、現在の後楽園外苑にあった民有地を購入し移築しました。

昭和20年6月の岡山大空襲にて建物は全焼しました。
戦後、当時の資料をもとに再建され現在に至っています。
灯篭、建具の一部などは、空襲での延焼をまぬがれ、当時の名残りを今も留めています。



日本三名園のひとつで国の特別名勝。岡山藩主池田綱政公が家臣の津田永忠に命じて造らせ、14年の歳月を費やして、元禄13年(1700年)に一応の完成をみた江戸時代を代表する庭園。四季の花々が季節ごとに美...
岡山後楽園の写真
岡慶長18年約10万石の加増 を受け38万石となった。元和元年(1615年)忠継が無嗣子で没し、...(慶長8年(1603年)、姫路藩主・池田輝政の次男・忠継が28万石で岡山に入封し、ここに 江戸期の大名である池田家の治世が始まる。1613年)には
山藩主池田家の16代目隆政氏逝去‐【山陽新聞】-天皇陛下の姉・厚子さんの夫で、 池田動物園(岡山市北区京山)園長の池田隆政氏が、一昨21日午後 1時47分に肺炎 の為、入院先の倉敷市内の病院で亡く成られました。行.

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