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2014年09月24日 外部ブログ記事
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アジア大会について

現在アジア大会が韓国仁川で開催されていることを知らない人はいないでしょう。しかし私もそうですが、オリンピックや、ワールド・サッカーのような盛り上がりに欠けるのも事実です。大会第5日目の23日には、体操の個人総合で神本(20歳)が金、第2位は山本で、金・銀メダルを日本勢が獲得しました。水泳でも荻野が連日大活躍しています。

少しでも日本選手の活躍を応援したいと思い少しアジア大会の勉強をウッキペディアで調べてみました。(以下ウキペディアからの引用)

1950年代:アジア競技大会の創設[編集]
1913年から1934年まで、日本、フィリピン、中国の3カ国で行われていた極東選手権競技大会(The Far eastern Championship games)、1934年にインドのニューデリーで開催された西アジア競技大会が源流とされる。
第二次世界大戦の終結後、1947年にロンドンでアジア13カ国の会合がありアジアの総合競技会の開催で一致、さらに1948年7月のロンドンオリンピックにおいてインド、フィリピン、朝鮮(分裂前)、中華民国、セイロン、ビルマが再度、アジアの総合競技大会をインドのニューデリーで開催することを決議。1949年2月にアジア競技連盟(AGF)が創立された。この開催決議はインド選出のIOC委員であったソンディ(Guru Dutt Sondhi)が主導したと言われる。
AGF設立時にはインド、アフガニスタン、ビルマ、パキスタン、フィリピンが加盟し、1950年に第1回大会を開催する予定であったが施設の整備、用具の調達が間に合わず、翌年の1951年にインドのニューデリー市で第1回が開催された。以降、基本的に夏季オリンピックの中間年に開催している。
1958年5月に開催された第3回大会は1964年東京オリンピック招致活動の最中の東京で行われ、大会に先立つ5月には国際オリンピック委員会総会が東京で開かれ、国際大会の開催能力をIOCに対して示す貴重な機会となった。
1960年代-1970年代:国際関係の大会への影響[編集]
しかし、第4回大会以降はしばしば世界的な政治問題に影響された。1962年8月にインドネシア・ジャカルタで開催された第4回大会にはインドネシア政府がスカルノ大統領の親中国、親イスラム諸国の意向により、台湾とイスラエルの参加を拒否。IOC、国際陸上競技連盟(IAAF)、国際ウエイトリフティング連盟(IWF)は第4回アジア大会は正式競技大会としては認めないと表明、日本選手団は中止されたウェイトリフティング競技以外は参加したが、津島寿一日本体育協会会長が責任を負い辞任するなどの事態となった。翌1963年にIOCがインドネシアの資格停止(オリンピック出場停止)を決議、これに対抗しアラブ諸国12ヶ国が東京オリンピックボイコットを示唆、同年11月にはインドネシアはIOCに対抗し新興国競技大会(GANEFO)を開催するなど東京オリンピックを前にして国際スポーツ界の分裂の火種となってしまった[1]。
1970年の第6回大会は韓国ソウルで開催予定であったが1968年1月に北朝鮮の特殊部隊のソウル侵入事件(青瓦台襲撃未遂事件)が発生した影響などで韓国が開催を返上。急遽、前回大会の開催地であるバンコクでの開催となった。
1974年の第7回大会はイラン・テヘランで開催されたがアラブ諸国、パキスタン、台湾に代わり初参加の中華人民共和国と北朝鮮がイスラエルとの対戦を拒否するなどの問題が生じた。またイランはイラン革命前でありこの大会にはイラクも参加していた。
1978年の第8回大会は警備上の問題があるとしてイスラエルの参加を拒否、これに対して国際陸上競技連盟(IAAF)がアジア大会参加選手はIAAF主催の大会に参加させないと表明するなど対抗した。さらに1982年第9回大会(ニューデリー)にもイスラエルはインドへの入国を拒否された。このイスラエル問題は第9回大会の直後に開催されたAGF会議において、アジアオリンピック評議会(OCA)設立がイスラエルを排除する形で決議され、以降のアジア競技大会はOCA主催となったことから、イスラエルのアジアスポーツ界からの排除という形で決着されることとなった。
1980年代-2000年代:大会規模の拡大[編集]
1986年からは、それまでの夏季大会に加えてアジア冬季競技大会が行われ、第1回と第2回冬季大会は札幌市で、第5回冬季大会は2003年2月に青森県で行われた。さらに、スポーツ競技数の増加に対応し、2005年からは、室内競技を中心としたアジアインドアゲームズも始められた。
2006年ドーハ大会では、過去最多の39競技が実施されたが、次第に巨大化する大会規模を懸念し、いくつかの競技をアジアインドアゲームズや2008年に始めたアジアビーチゲームズに振り分け、2010年広州大会からは35競技に削減する方向となった。ボディビルがアジアビーチゲームズへ移行することになり(ボディビル#アジア大会におけるボディビル競技を参照)、武術太極拳が除外された一方でダンススポーツ、ドラゴンボート、クリケット、囲碁などが追加され、史上最多の42競技となった。
2014年仁川大会では36競技に削減されることが発表され、2010年大会開催競技のうちソフトボール、ローラースポーツ、チェス、ビリヤード、ダンススポーツ、ドラゴンボートの6競技が除外対象とされた。検討された当初はボウリングとクリケットも除外候補であったが、残留。その後、ソフトボールは野球との1競技扱いで除外を免れ、ソフトテニスもテニスの1種目となった。
2009年7月3日に開かれたOCA総会で、第18回大会の開催を1年遅らせて2019年に開催することが決まった。2012年11月のOCA総会(マカオ)にて2019年の第18回大会の開催地をハノイ(ベトナム)と決定したが、2014年4月17日、ベトナム政府が財政難を理由として大会開催を辞退することを発表した。

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