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たかが一人、されど一人

子供の日に 

2014年05月05日 外部ブログ記事
テーマ:テーマ無し

憲法記念日と子供の日の間に位置する5月4日を意味不明の「みどりの日」とか言って連休にしてしまったので、子供の日の有難味が薄れてしまったようで残念だ。年経るにつけ、目にして一番嬉しいものは子供の笑顔で、耳にして一番嫌いなものが子供の泣き声である。さすが今日は子供の日だけに親子連れで歩いている人が多かったような気がする。微笑ましい風景ばかりではなくて、びっくりした光景にもぶつかった。小学校2、3年生くらいの男の子と連れ立っていた40歳前後のお父さんの二人連れ。子供は何やら買ってもらったらしい玩具が入ったデパートの紙袋を持っている。デパート前の通りを横断する信号が赤で隣に来て並んだ。父の方がこれから昼飯に行く店を子供に聞いている様子。子供の返事が凄かった「あんな店駄目に決まっているじゃないか。」とびっくりする程のふてくされた態度。父がこの子を張り飛ばすのではと心配したが、驚くべきことに「ではどこがいいの?」まるでその子に阿っている。もう1件は地下通路を歩く小学校高学年か中学校低学年くらいの男の子と母親と思しき二人連れの、すれ違いざまのことである。何があったか知らぬが男の子が、持っていた雑誌か新聞で女性の顔をいきなり叩いた。「止めてよ」とか何とか叫んだようだが、そのまま歩み去った。どちらも子と親が1対1だったので、ひょっとしたら父子家庭とか母子家庭と言ったやや特殊な環境の親子かもしれない。片親家庭なんてものは今や特殊でも何でもないか知れぬが、そんなことは兎も角、この光景を目の当たりにした時はびっくりした。山上憶良の白銀も黄金も玉も何せむに・・・ではないが、子供は誰にとっても何者にも替えがたい宝であるのは異論が無いだろうが、甘やかせばいいと言うものでもないと思う。と偉そうに言ったところで「お前はどうなんだ?」と問われてしまうとお恥ずかしい限りである。子供を叱った記憶は皆無に近いが、子供に対する教育は全面的に放棄していただけのことである。むしろ孫はたまに遊びに連れて行ったりしたので、孫たちには叱った記憶が何回かある。主に社会秩序について教えておこうと思ったようなときだった。電車の中では子供が席に争ってついてはいけないとか、大人が多い席で子供がはしゃいだいけないとかいった類だったような気がする。子供だから許されることもあるが、子供は常に大人に敬意をもって接しなければいけないことを理解してほしかったが、果たして結果はどうか?高校生になってしまった二人の孫と会う機会がめっきり減ったので分かりかねるが、二人とも中学時代に運動部に入っていたので、ある程度長幼の序などは身に着いたことだろうと思っている。スポーツの世界で活躍する10代の選手を見ていると、今の子はしっかりしていて気持ちが随分明るくなる。引き換え馬鹿な大人が多いことにはうんざりだ。特に政治家、トップに立つ総理に子供がいないのも国民全体にとって不幸なことかもしれぬ。子供の大切さが総理には分からないのだろう。子供たちを戦場に送り出す蛮勇は持ち出す前に、子供たちの命を守るためならと、思いを巡らせてみろと言っても、所詮詮無きことなのかもしれぬ。

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