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たかが一人、されど一人

アメリカの外交戦略 

2014年05月04日 外部ブログ記事
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好い天気だが出かけるところが無い。又昨日見たテレビ番組の紹介をしたい。先日読んだ小説によると、第1次世界大戦の時は戦勝国が莫大な戦後補償を敗戦国に押し付けたようだ。ところが先の大戦で勝利した連合国側は、敗戦国日本に対しての賠償請求権を放棄している。(但し、日本に占領されたアジア諸国と日本との個別協定に委ねられ、日本にとって有利なものとなったことは否めない。)その代りかどうか、東京裁判なる法廷が設けられて多くの戦争犯罪が裁かれ、A級とされた数人が絞首刑で殺されたことは小生ですら知っている。何れにせよ、連合国の親玉であったアメリカと言う国は不思議な国である。誰がどう考えても日本のトップが天皇であったことは疑う余地が無い筈だ。にも拘らず、東京裁判では天皇の責任を問わずに輔弼の任にあった数名を処罰するだけで済ませている。死刑判決の7名と言う人数はいろんな意見があるだろう。裁判は東京だけでなく戦地であった国でも行われているので、終戦後死刑で亡くなられた軍人軍属は他にも沢山おられるだろうが、詳しい記録があるのかどうか。ここではアメリカの国家戦略について書きたいので、本件に関しては触れない。多分、天皇を有罪にすべきか否かについては、日本について相当綿密な情報収集と分析が行われたに違いない。その結果の決定が、我が国にとってもアメリカにとっても非常に正しい判断であり、その後の世界にハッピーな結果をもたらしていることは言うまでもない。こんな当たり前の話を持ち出したのは、昨日TBS18時からの「報道特集」を観たからである。憲法記念日に因んで特集が2件あり、1件は金平キャスターの安保法制懇の代表北岡伸一氏に対するインタビュー。「集団的自衛権はあるけど行使できないとしてきた、従来の内閣の考えは間違いから不適切の間であろう。」と聞き捨てならぬ答えを引き出している。この部分も良かったが、もう1件の特集が非常に印象的であった。コアになっているのがアメリカ公文書館の保存資料から発見された1通の手紙。昭和34年4月20何日かの日付でアメリカ大統領アイゼンハウワ―氏宛てだされたもので、内容は我が子である明仁親王が正田美智子嬢と結婚したことを報告しているもの。差出人は良友 裕仁と直筆で署名されている。どんな秘密文書でも公文書は一定に期間を経て公開されることになっている彼国だから、ここまでは驚くにはあたらぬかもしれぬ。感心したのはその前後の文書である。実に詳細な現地の事情が、駐日大使館の担当者から国務本省に送られている。正田美智子氏が皇太子妃に選ばれるまでには、宮内省或いは政治家を巻き込んで相当な綱引きがあり、結果的に民間からの降嫁に至ったこと。これが憲法に定めた象徴天皇に地位を具象化する極めて重大な影響を国民にも及ぼすであろうことなどを細かに綴っている。現在のアメリカを見ていると、例えば訳も分からぬ因縁をつけてイラクに戦争を仕掛けて、大統領を絞首刑にしたりしている。こんな事と比較して思うに、当時アメリカの外交戦略が如何に緻密であったかが偲ばれる。もちろんご成婚後のウォッチも続き、日本では常に台頭しがちな右派勢力によって天皇が元首に祀り上げられることに対し、余程の注意が必要とも述べている。そして番組の最後に自民党の憲法改正草案の第1章第1条「天皇は、日本国の元首であり、・・・」が紹介されて終わった。

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