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人生いろは坂

事件の真相 

2014年03月30日 外部ブログ記事
テーマ:テーマ無し



 先に袴田事件の被告であった袴田さんが仮釈放されたと言う報道があった。この報道の中で、事件後初めて袴田さんに
裁判結果を言い渡した元裁判官のインタビューがあった。自分は「白」だと思っていたが、先輩の裁判官二人に意見を
聞いたら「黒」だとの主張だったので、心ならずも死刑の判決を言い渡してしまったと当時の心境を語りながら涙を
流していた。良心の呵責に責められての涙であった。

 この元裁判官は、自分の下した判決を非常に悔いている。そして、それが原因だったのかどうか定かではないが
その後に裁判官を辞めている。人間が人間を裁くことの難しさ、ましてや科学的な捜査が十分に行われなかった戦前や
戦後のある時期には多くの冤罪事件が生じている。罪なき人が無残にも犯罪者として闇に葬られてきた。

 こうした冤罪事件について考えるとき司法当局は二重の間違いを犯している。まず真犯人を取り逃がしていること
そして真犯人でもない人を死刑にしたり無期懲役などで牢獄へ閉じ込め人の自由を奪っていることである。これを法に
名を借りた組織犯罪と言わずして何と表現すればいいのだろうか。

 そして、先の小沢さんの金の出所を巡って長期に争われた裁判などは、初めから小沢さんの追い落としをはかっての
作為的な行為であった。罪に陥れるために、真実をねじ曲げた調書を作り、罪人扱いをするなどと言うようなことが
あっていいのだろうか。これから司法畑を目指す若者たちは、もっと正義のあり方を考えて貰いたいと切に願うばかり
である。

 袴田さんに最初の判決文を読み上げた先の裁判官のように先輩に逆らうことは組織と言う中にあってなかなか難しい
ことかもしれない。ましてやそれが自分の出世に関わることであれば尚更の事かも知れない。しかし良心と言う心を
捨ててまで行う行為であろうか。正義のために行うことが正義に反しているとしたら、それは自分が目指すべきもの
なのだろうか。

 裁判員裁判が行われるようになって久しい。多くの裁判が裁判員の採決によって決せられてきた。しかし、改めて
今回の袴田事件の結果を考えるとき、簡単に裁判員になって人の罪を裁くことには慎重になるべきだと考えるのである。
ましてや捜査の全ては当局が行ったものを参考にしての裁決である。自分が自分の目で調べたものではない。

 真実は、その現場を調べたものでしか分かりえないものがいっぱいある。捜査の過程で直感的に不審に思われるような
ことがあるはずだ。しかし、それは捜査に当たった者しか知り得ない。そこに裁判員裁判の難しさや判決を下すことの
難しさがある。

 袴田さんの仮釈放に関し裁判所の下した判断は、このまま死刑囚として袴田さんを監獄にとどめ置くことは正義に反する
として仮釈放を決めると言う異例の結果となった。裁判は後日再開される。事件発生から今日まで長期にわたって犯人扱いされ
いつ死刑が執行されるか分からない恐怖におびえながらの長い歳月はどのような心境だったのだろうか。その心境を思うとき
思わず涙が湧いてくるのを抑えられない。

 一日も早く無罪放免の判決を待っている。そして数少ない親族の一人として袴田さんを支え続けてこられた姉上の底知れぬ
弟を思う優しさを考えるとき、このお姉さんがおられたからこそ今日があったのだろうと思う。袴田さんにとって、どんなにか
力強い存在であったことだろう。それにしても若い時から老いた今までの膨大な時間を獄中で過ごさなければならなかった
この貴重な時間を誰が保障するのだろうか。犯した司法当局の罪は重い。

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