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人生いろは坂
水と土と空気の話
2014年02月22日
テーマ:テーマ無し
信じがたいことだが、児島の中心近くの小川や味野地区を流れている小田川にEMを入れた時のことである。
EM発酵液とEM団子を投じて数か月後、我が目を疑うような現象が生じた。ヘドロでまっ黒く腐臭を発する
川底の色が変わり始めたのである。単純に言えば黒から茶色へと激変してきたのだ。
そして約半年後、川底は固い砂地に変わり、長靴でなければとても入ることの出来なかったところが革靴でも
何ら支障がなくなったのだ。そして今まで目にしたこともないカニが群れを成して生息するようになっていた。
私が川床に降り立ち写真撮影をしていた時、満ち始めた潮に乗ってチヌやフグの稚魚が群れを成して遡上し
始めていた。環境が整えさえすれば自然は手を加えなくても復活すると言うことを確信したのはこのときであった。
数年前、毎年のように昆虫の活動期になるとヘリコプターの音がして近隣の山に農薬を撒いていた。松枯れを
防ぐために莫大な費用を投じて殺虫剤を撒いていたのだ。しかし、効果は全くなく数年後には止めてしまった。
防虫効果もむなしく松が枯れてなくなってしまい撒く必要がなくなってしまったからだ。
松枯れの原因は何なのか追求しないままにマツノザイセンチュウの媒介をするとされるマツノマダラカミキリ
を殺せば松枯れはなくなると言う単純な発想からだった。
原因はマツノザイセンチュウでもなければマツノマダラカミキリでもない。原因の全ては空気にあり土にあった。
夥しい中国からの汚染物質を含んだ風が吹き込み、それが酸性雨となって日本の大地を汚染させ続けてきた
結果であった。実は、こうした事実はこの時から遡ること十年近く前にもあったことだ。その時は越境してくる
中国の空気ばかりでなく日本の道路やコンビナートから連日吐き出される大気汚染物質によるものであった。
気管支炎の原因となり喘息で多くの患者が発生した。その頃、連日のようにオキシダント警報が発せられていた。
日本中の排煙には脱硫装置が設置され厳しい環境基準が設けられた。引き続きダイオキシンの排出規制も始まった。
それらの基準は自動車にも適用され触媒を用いた特殊な設備を取り付けることが義務付けられた。
針葉樹は酸性土壌に弱い。大量の酸性雨で汚染され松は弱っていく。松が丈夫であればマツノマダラカミキリを
寄せ付けない。仮に取りついたとしても松脂など自己防衛手段により撃退してしまう。松はマツノマダラカミキリや
マツノザイセンチュウに侵食される前にすでに弱り切っている。
自然界では弱いものから淘汰される。それが自然の大原則である。従って取りつきやすい弱った松から順番に
マツノザイセンチュウに侵されていく。全ては自然の理にかなっている。農薬など撒いても無意味なのである。
この辺の事情は現代医療に通じるものがある。自然の治癒力に任せるか、原因となっているものを取り除けば
体に備わった免疫力が発揮され自然治癒に向かう。自然界にない薬物などをあたら取り込むのは松枯れの原因を
除去せずに農薬を撒くようなものである。農薬を撒けば他の有用な昆虫まで殺してしまい自然は貧弱なものに
なってしまう。
私たちの子供の頃には豊かな自然が近くにあり昆虫は無尽蔵にいた。自然は生気に満ち満ちていた。子供の頃の
川には掬っても掬っても取りつくせないほどの魚がいた。夏の夕方近く、近くの川の細い流れにはウナギの稚魚が
わずかばかりの流れを這うように遡上していた。小川のほとりの木にはギンヤンマが群になってぶら下がっていた。
今の自然にそのような生気を感じることが出来るだろうか。宮崎アニメの「隣のトトロ」に描かれている自然こそが
本物の自然である。自然とは本来そのようなものである。ましてや太古の川や海には粗末な作りの釣り針でさえ
釣れるほどの魚が生息していたに違いない。
今の中国の大気汚染を止めるには厳しい環境基準を適用し取り締まるしか改善の道はない。自然はあるべき姿に
戻しさえすれば全ては改善される。人間の健康も同じことだ。恐らく江戸時代の食事と環境に戻れば多くの病は
なくなり病んでも回復は早いだろう。海は豊かになり、川に豊富な魚が生息し山や森は豊かな産物に満たされる
であろう。
結局、人間は進化により物質的な豊かさを得た代わりに自然の豊かさを失った。天秤にかければどちらが得だった
のであろうか。これが進化と言うなら、もう一度進化の意味を考え直してみたいものである。信仰も同じである。
科学と言うものの進歩によって日本人は神を敬うことを捨ててしまった。その結果はどうなったのか。心の空洞は
広がるばかりで寄る辺のない心は荒廃の一途をたどっている。むろん宗教にも信仰にも様々な問題はある。
今、縄文人が想像以上に豊かな生活をしていたことと、豊かな情報に恵まれていたのではないかと言うことが
注目されている。昨今の偏向したマスコミが報ずるまやかしの様な報道ではなく、人の口から人の口を経て豊かで
確実な情報が伝わった時代があった。
そして縄文人は自ら海へ船を出して世界中を駆け巡っていた。それを可能にしたのは縄文人の知りたいと言う
強い思いと、それを支える知識や技術があったに違いない。縄文土器の痕跡が世界中に点在していると言う驚く
べき事実が明らかになりつつある。周辺を海に囲まれた日本は特殊な地位にあったのかもしれない。
私は船で地球一周の旅をした時に意外に地球は小さいと言うことを実感した。確かに歩いて大陸を横断しろと
言われたら100日どころか数年を要するであろう。しかし船だと時速30キロ弱でも昼夜を問わずり続ければ
100日もかからないのだ。恐らく縄文人の感覚もこのようなものだったのかもしれない。
縄文人や縄文人の血を受け継いだ人達は、アウトリガーの付いたカヌーに帆を付け洋上を滑走したに違いない。
ある時は時速40キロを越えるようなスピードだったかも知れない。時速40キロだとすれば、単純に24時間
走り続ければ960キロを走行することになる。
さて、水と土と空気の話をしようと思っていたのだが、空気の汚れの話から横道に逸れてしまった。次回は
単刀直入にその話を進めて行きたい。その前に参考となるべき文献を探したのでそれを読んでみてほしい。
その上で私の考えるところを述べてみたい。
http://www.mizutukuri.co.jp/09suiri/suiri_mizunohanasi.pdf
このURLにアクセスしてみて下さい。
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