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人生いろは坂

活弁口演終わる 

2013年12月04日 外部ブログ記事
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 随分、以前に依頼のあった岡山の公民館での活弁口演が終わった。私たち夫婦にとって久々の
口演だった。ちなみに活弁の場合は公演と言わず口演と言う。口で演ずると言うことであろうか。

 今年の活弁口演は昨年に比較すると少なかった。それと言うのも私たちのことを宣伝して
下さったYさんが公民館を退職なさったことにもよる。私たちが活弁を始めた時から、ことある
ごとに自分の公民館で活弁口演をさせて下さったり、他の公民館へ宣伝をして下さった。
お蔭で岡山市内の公民館へはたくさんお邪魔することが出来た。本当にお世話になった人である。

 さて、その活弁であるが活弁とは何かと言うことを解説しなければならないほど知名度は低い。
かつて無声映画と呼ばれていた音声が入っていない映画がつくられ始めたころ、映画のストーリーや
役者が話している言葉は画面上の字幕で判断していた。そして時には音楽が生演奏で流れていた。
それでも初めのころは写真が動くと言うだけで珍しく喜ばれていた。映画は初期の頃、活動大写真と
呼ばれていた。活動(動く)する大写真(スクリーン)という意味であろうか。

 その無声映画が日本に入ってきた時から日本独自の取り組みが始まった。初めのころは映写機の
機能説明や映画がどのような仕組みになっているかなど見世物を解説するようなものであったらしい。
その解説者役が活弁士の始まりだったらしい。そして劇映画のようなものが制作されるに連れて
単なる解説から劇中の人物になりきって声色を出したり、時々の解説を加えるようになってきた。
一時は文部省までもが活弁士を養成したと言うから、その力の入れようはただ事ではなかった。

 こうして映画には活弁士が欠かせないものになっていった。と同時に映画館には専属のバンドが
居たりして、映画に音楽も付けていた。楽団のことを弁士に対し楽士と呼んでいた。活弁士と
楽士は対のものであった。両者が互いに助け合いながら映画そのものを盛り上げていった。
当然のことながら観客もそれに乗せられ会場には独特の世界が生まれてくる。

 活弁士の語り、楽士が奏でる音楽、そして映像、更には観客が混然一体となって雰囲気を
盛り上げていく。かつて子供時代、画面上に鞍馬天狗が颯爽と登場した時、会場からは
思わず拍手が巻き起こった。それと同じような雰囲気だったに違いない。今でこそ映画は
他の多くの娯楽の一つに過ぎないが、当時の娯楽と言えば芝居や落語、講談や浪曲しか
なかった時代であった。それも地方ではめったに見ることの出来ないものが多かった。
それだけに映画の力は絶大であった。

 有名な弁士には多くのファンがいた。名の通った男性活弁士はもてもてであった。単なる
追っかけだけでなく、活弁士に惚れて惚れて惚れぬいて夫婦になった女性も少なくなかった。
また活弁士にはそれ相応の社会的な地位もあった。こうして活弁士なければ夜も日も明けぬ
ような全盛期もあったわけである。

 しかし、いつまでも続くことはなかった。トーキーと言う映像に台詞や音楽が付くように
なってきたからだ。フィルムに音を入れ、映写機でそれを読み取ると言う画期的な技術が完成した。
この技術が確立して以来、活弁は急速に廃れていった。新しい映画の時代の幕開けでもあった。

 しかし、活弁による映画上映には通常の映画にはない独特のものがある。それは何よりも
映像の中から出てくる声や音声ではなく、生身の人間が語る肉声と生演奏の魅力である。
これによって古びた白黒映画が生き生きとしてくるから不思議だ。時によればモノクロ映画が
色のある映画に見えてくるから不思議である。その魅力と不思議さは体験したものでなければ
分からない。

 小学生に活弁を見せると大喜びだ。アニメーション映画しか見たことのない子供たちが
古びたモノクロ画像にはまっていく様を見るとうれしくなってくる。中には台詞を一年間も
覚えていてくれる子供でさえいるくらいだから、その魅力は計り知れない。子供たちの
何をしてそれほどまでに感動させるのだろうか。不思議と言えば不思議である。

 子供たちにワークショップで無声映画に台詞を付けさせるのも面白い。意外に簡単に
やってのける。そして完成後、それを再現してみると、それはそれでものになっている。
それは子供たちの素直な感性によるものではないだろうか。

 さて、そんな活弁映画であるが、来年の年明け早々、1月18日(土)児島市民交流センター
ジーンズホールでプロの活弁士「佐々木亜希子」弁士を招待し、第九回児島活弁シネマライブを
開催する。この口演では私たち夫婦が「夫婦活弁士むっちゃん、かっちゃん」として前座を
勤めることになっている。師匠と弟子の口演である。そして楽士はおなじみの野原直子氏に
よるものである。今回の口演のためにだけに作られた音楽が演奏される。私たちの活弁と
ともに生演奏の野原ワールドをお楽しみいただきたい。

 その上、今回は玉島市民交流センターとのコラボ企画となっている。向こうは地元の方が
音楽を付けることになっている。新しい楽士の誕生である。これもまた楽しみである。入場料金は
活弁としては破格の安さである。通常、プロの弁士を呼んでこの価格で鑑賞できることは
まずないと言っても過言ではない。ぜひ大勢の方に足を運んでいただきたいと思っている。

 最後に今年最後の活弁を企画していただいた岡山市立東山公民館に心からお礼を述べたい。
今回の活弁映画は地元出身の大スター尾上松之助氏の「豪傑児雷也」であった。少しは
「目玉の松ちゃん」こと尾上松之助氏の慰霊に供したであろうか。そして尾上松之助氏を
介して親しくお付き合いをしていただくようになった故松田完一さんの弟さんを始めご親族の
方々にもご来場を頂き心から感謝している。

 活弁を始めるようになって様々な縁が開け始まるようになってきた。この縁繋がりは実に
不思議と言うほかはない。こうした様々な人の縁の中で生かされていることに感謝しながら
今年最後となった活弁の報告に代えておきたい。

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