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水 

2013年10月30日 外部ブログ記事
テーマ:テーマ無し



 長く暑い夏のうだるような暑さもいつの間にか過去のものとなってしまった。
まこと時の流れ、季節の移ろいは早い。そして厳しい冬が目の前まで来ている。
今年はことのほか厳しい冬になるそうである。地球温暖化だと言うのに何故にと
思う人も少なくないのではなかろうか。

 温暖化現象はまことに奇妙なもので、北極のような極寒の影響を受けにくいと
思うような場所のほうが実は温度上昇が激しいなど、気圧配置や偏西風の蛇行や
海水の温度や潮の流れなど様々なファクターが複雑に絡み合って、このような
ことになるらしい。

 それにしても集中豪雨だとか台風だとか竜巻だとか予測のつかない気候変動に
振り回された一年であった。そして、こうした影響を受けているのは日本だけでは
ない。報道されないだけで様々な国や地域で大きな変動と災害を経験している。
そして、それが定常化しているのも昨今の特徴的なことである。

 さて、水は私たちが生活していく上でどうしても欠かすことの出来ないものである。
多少食事を取らないことがあっても体にとって水だけはどうしても必要なものだ。

 日本国内では、その水はいとも簡単に手に入る。水道の蛇口をひねれば大量の水が
出てくるようになっている。しかも衛生的な水である。街に出てもいたるところに
自販機があって簡単に買うことが出来る。

 しかし、世界中を見回すとこんなところは非常に少ない。水道施設はあっても
病原菌に汚染されているような不衛生な水道も少なくない。メンテナンスが十分で
なかったり水圧が低すぎて周辺の不衛生なものが水道の中へ流れ込んだりするからだ。

 私たち日本人もつい戦後の一時期までは水道のない生活をしていた。水道があるのは
ほんの一部の都会に限られていた。大半は掘った井戸からくみ上げた水を使っていた。
汲み上げる方法にも色んな方法があった。一番原始的で簡単な方法は釣瓶というものを
井戸の中に沈め掬い取った水を汲み上げて使っていた。その後に手押しのポンプが普及した。
しかしこれも人力を必要とした。

 そして電化製品が普及し始めてモーターの動力で汲み上げる井戸ポンプが普及した。
モーターによる井戸ポンプが普及してから水道によって家の中まで水を引き込むことが
出来るようになった。お風呂の水も釣瓶からバケツに移し替え運ぶ必要もなくなった。
多くは子供たちの仕事でもあったから子供たちは水汲みと言う重労働から解放された。

 今もアフリカなどでは遠く二キロも三キロも先の水汲み場へ毎日通わなければならない
子供たちがたくさんいる。そんな映像を見ると私たちの幼いころを思い出させる。

 このようについ最近まで水を手に入れることは簡単なことではなかった。水は生活用水
ばかりでなく農業に欠くことのできないものである。何を栽培するにしても水は絶対に
必要なものだ。それは畑を作ってみると良くわかる。

 その水は天から降ってくるものが全てである。雨や雪が降らなければ農作物は作れない。
インドやアメリカでは地下水を汲み上げてお米や野菜や穀物を栽培している。アメリカ
では水を動力で汲み上げ大掛かりな灌水設備で散水している。その水も化石水と言って
遠い過去に降った雨や雪である。

 しかし、こうした地下水を汲み上げて農作物を作っている国は、ほんの一部であり
地域に過ぎない。大半は季節ごとに降る雨を頼りに農業をしている。ここ岡山県の
瀬戸内沿岸や海を挟んで向かい側の香川県は、大きな河川もなく昔から年間の降雨量が
少なかった。そのため農業は大規模な灌漑用水が出来るまで池に頼っていた。池に
水を溜めておき必要に応じて使っていた。従って水はまことに貴重なものであった。
香川県には満濃池と言う有名な池がある。

 昔から水をめぐるトラブルは堪えなかった。田植え時期になると下流のものは
上流のものに手土産持参で水を分けてくれるように挨拶に行くのが恒例であった。
従って、今も水の権益を握っているのはお百姓さん達である。地元を流れる一級河川
「高梁川」の水利権の筆頭は農業となっている。

 この高梁川も何度か渇水の危機があった。その都度、渇水対策会議が開かれ水の
使用制限があった。私も役目がら会社の代表として何度かこの会議に出席したことがある。
その席で初めて知ったのが水利権の優先順位のことであった。お百姓さんが首を
縦に振らなければ工業地帯に水を分けて貰えなかった。

 今は、ほとんど使われなくなった池が私の周辺各所にある。昔はそれぞれの池に
頼る農地が下流域にあった。そんな田んぼも畑に変わり果ては住宅地に変わっていき
今やほとんど田んぼは消えてしまった。

 それでも池は残っている。残されている。一部には半分埋め立てたとかいうところも
あるが多くは昔のまま残っている。農業が盛んだった頃、年に一度は池を干して点検や
掃除が行われていた。水路も整備していた。そうしたことをやめてしまい何年になるだろう。

 つい先日も山奥の池を見る機会があった。その池は山間地にありきれいな水で有名な
池であった。子供たちが保育園に通っていた頃、この池まで遠足に行き、帰ってきて
きれいに池に行ったんだと一番に話してくれたことがある。子供たちの目にもその美しさが
印象的だったのであろう。それほどきれいだった池が薄汚れ見るも無残な状態であった。

 その池だけでなく、昔はどの池もきれいな水であった。池の上流に民家がなかった
こともあるが、生活用水の流入は厳しく制限されていた。水は農業に欠くことの出来ない
もので、しかもお米と言う神聖なものを作るということから最も大切にされてきたもので
あった。その池が無残にも汚れ、夏場には腐臭が漂うようなものになっている。中には
上流に出来た住宅から生活排水が流れ込んでいるような池もある。

 水を大切にするという心が失われている。実に嘆かわしいことである。先祖は井戸に
神をまつり、川や池に感謝の心を捧げてきた。今もう一度水について考えてみたい。
水を粗末にすると天罰が当たる。きれいな水は鏡でもあった。水鏡と言う。

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