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二年と言う歳月を振り返って 

2013年10月05日 外部ブログ記事
テーマ:テーマ無し



 今、児島市民交流センター周辺で大きなイベントが行われている。
「こじまブルーインターナショナルアートフェスティバル」である。
私たち児島市民交流センターに勤務しているものも、地域連携という
立場から、このイベントについて企画立案の段階から参加した。

 一参加団体と言うだけでなく、このイベントを盛り上げるべく
積極的に意見を述べ、それを実行に移してきた。このイベントを
通じて児島と言う街が少しでも活性化し、産業と観光の両面から
街が元気になることを望んでいるからだ。他地域の多くの人が
この地へ来てくれ、それで街が元気になる。そうなればどんなに
楽しいことだろう。

 更にはセンターに勤務し始めて私自身が考え実行してきたことが
幾つかある。その一つがイベントには多くの方々に関わってもらい
単なる参加者としてだけではなく、企画立案者にもなり実行者にも
なってもらうことであった。それは多くの人にイベントそのものを
もっと楽しんでもらいたい。そんな思いからであった。

 そうしたことから児島観光ガイド協会が発足し、アーティスト
全員集合で集まった児島カップパーティーが始まった。更には
アシスタント募集で集まってくれた人たちがいて、企画には関わって
いないけれど映画鑑賞会に数多くの人が登録してくれている。
また、センター内の軽食喫茶店と一緒になって始めた「うたごえ喫茶」
と言うユニークな取り組みもある。

 また、新聞やテレビでも取り上げて貰った「こじmama」という
子育て世代の若い母親たちの集まりがある。「こじmama」は
とかく子育てで忙殺されがちな生活に少しでも潤いを与えて
やりたいという私の思いから始まった。

 子育てサロンプーさん、子育てサポーター養成講座などを経て
始まった子育て世代の母親同士の繋がりである。参加してくれた
母親たちの中には出産前まで仕事で腕を振るっていた人も少なく
ない。また、そうした人たちの中には色んな技能を持っていて
そうした技能を生かした自主的な活動も始まっている。講座の
講師などである。

 講座の講師と言えば地域における講師の若返りも考えている。
そのために若い世代の講師も養成している。すでに料理や民謡
編み物などの講座に於いて若い講師が活躍を始めている。

 いずれこの世の中の中心になっていく世代である。中心になって
欲しい世代である。この世の中で遅れているのは若い世代への
橋渡しである。現役を終えたものがいつまでも前を走ることは
出来ない。いつかは次の世代にバトンタッチしなければならない。

 早いものであれから二年になる。正確に言えば二年と二か月
何も分からず何も頼るべきものもを持たずに始めた事業と言う
講座やイベントの数々。とにかく無我夢中でやってきた。みんなに
喜んでほしい。みんなに楽しんでほしい、それは自分自身の
喜びでもあった。

 そして、私の努力だけでなくとにかく、とにかく多くの方々に
助けてもらった。困っているときに必ず何らかの形でお助けマンが
現れる。そんな日々であった。考えてみると実に不思議なことで
あった。多くの方々に助けられ支えられての二年間であった。

 そして不思議に思うことは人と人の繋がりであった。「ええ」
こんなこともあるのと思うような繋がりが様々な形で、それこそ
次から次へと現実のものとなってくるのである。この不思議さは
体験したものでないと分からない。

 人は何らかの意味があってこの世に生を受けているらしい。
そもそもこの世に生を受けるとき自分の人生ドラマは描かれて
いるのではないか。そのドラマを脚本通り演じているのでは
ないかと思うのである。自分の舞台は自分が主役、ある時は
他人が主役の舞台で自分がわき役を演じている。そんな気が
するのである。

 会社で働いていた時の全ても、そして定年になった年に
地球一周という素晴らしい旅をしたことも、更には定年後の
八年近くと言う長い生活も、そうした長い定年後の暮らしを
経てのセンター勤務という新しいステージも、何かしら何かに
導かれるようにしてやってきた。全ては人生の集大成としての
何かを目指してやってきたような気がしてならない。

 もともと世話好きで人間好きの私にとって今の仕事は天職
だったのかも知れない。定年になってこのまま終わってしまう
のだろうか。他に何かがあるのではないだろうか、そんなことを
漠然と考えながら過ごしてきた。その先にあったものが今の
生活であった。

 地球温暖化問題、これは早くから何かしら心にひっかるものが
あった。そして次第に乱れていく世の中、何もかもがお金お金の
世の中。人間の心の荒廃と温暖化現象。何かダブって見えるものが
あった。

 湯本さんに促されて取得した健康生きがいづくりアドバイザー。
そもそも地球一周の長い旅で湯本さんと言う私の母親ぐらいの
世代の人と偶然に出会わなければ始まらなかったことである。
偶然と見えて必然であったのかも知れない。全てが収斂(しゅうれん)
されて今があるような気がしてならない。

 環境問題や健康生きがいづくり等と言った様々な活動を通じ
その先にある人との巡り合いがあってセンター勤務を誘われた。

 地球温暖化問題で地域で何か活動をと考え取り組んだのが
ささやかながらテント一つを借りて開いた環境展だった。その縁が
きっかけとなって地元の商工会議所にも出入りするようになった。
更には地域のボランティア活動の推進母体に参加し、EMによる
川の浄化にも取り組んだ。

 それがきっかけとなって地元の小学校や地域で環境問題について
話をさせてもらうようになった。EMについてももっと深く知りたい
と思うようになった。微生物と自然、人間の生活と微生物との関係
果ては食べ物のことまで及ぶようになった。

 そして行き着くところはいつも人の生き方の問題であった。全ては
人間の生き方に起因しているものばかりであった。人間が生き方を
変えない限り解決できないものばかりである。

 何かしら大きな力で押されるようにして今があるような気がして
ならない。その力は今も絶え間なく私の背中を押している。この先に
どのような展開があるのだろう。

 そして市民交流センターを中心に大きな人のうねりが始まった。
そのうねりは始まったばかりである。これから大きく育てなければ
ならない。文字通り市民が相集う場所として様々な人と人の繋がりが
更に大きく展開しつつある。講座やうたごえ喫茶に来てくれた人たちの
「ありがとうございました」そんな感謝の言葉を励みに今日も
新しい取り組みを始めている。

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