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人生いろは坂

原発の水漏れ事故 

2013年10月01日 外部ブログ記事
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 私は在職中だったころの同僚の話を思い出している。化学工場で
定期修理と言えば一年に一度か少なくとも数年に一度は定期的に
やってくるものだ。そしてそのときはプラントの改造や増設工事を
行うことが多い。

 かつて水島コンビナート全体が建設途上にあったころ、一時期だけ
極端な人手不足のことがあった。下請け、孫請けと言った幾つもの
会社を通じて人手は全国から集められた。東北や北海道からの出稼ぎ組や
大型のダンプカーを持って出稼ぎに来た人も少なくなかった。
コンビナート周辺の幾つもの山の形が変わるほど土砂が採取され
沿岸が埋め立てられていった。

 そんな時代の嘘のような話である。定期修理だったか建設だったか
とにかく大工事が終わり試運転の段階になって幾つもの配管にトラブルが
発生した。水が通らなかったり接続箇所から漏れたりと通常の工事では
考えられないようなトラブルが幾つもあった。

 どうやら孫請けやらその下の小さな工事会社を通じて入った人の中には
メガネやモンキーなどと言った工事道具を握ったことのないような人が
いたようだ。むろん配管のサイズも分からなければ配管を接続する手法も
手順も分からない人だったようである。見よう見まねで言われるままに
配管工事に当たったらしい。全ては原因究明に当たった時に判明したことだ。

 このように人手が足らなくなると工事会社は苦肉の策として、全くの
未経験者でも頭数を確保するために人手をかき集めて来るようなことをする。
農業しかしたことがないような人に配管のサイズや工事の手順など分かる
はずがない。

 今回の原発事故を考える際、事故後においてどのような工事が行われて
きたのか想像に難くない。まさに決死の覚悟で爆発後の工事に当たって
来たに違いない。良くこれだけの水漏れで済んでいると言っても言い過ぎ
ではない。

 私は事故後の現場に入るような人がいるのだろうかとそのことばかりを
心配していた。チェルノブイリの原発事故後の処理に当たった兵士たちの
悲惨な結末を知っていたからだ。怖くて誰も近づかないのではないか
そうなったときに爆発後の原発はどうなるのだろう。そんなことばかり
考えていた。

 本来であれば原子力発電所の設備基準はとてもグレードが高いはずだ。
にもかかわらず核物質を大量に含んだ冷却排水を貯めるタンクとは
とても思えないような間に合わせのものである。

 急ぎ本格的なタンクを建設し移し替えなければ必ず水漏れ事故は続く
だろう。また地下水対策も急がれる。果たして凍らせた地下の壁で
防ぎきれるのだろうか。メルトダウンはどこまで進行しているのだろうか。

 夏のただでさえ焼けつくような暑い日に防護服での作業は困難を極める。
ただでさえ暑いのに防護服は息苦しくてたまらなく暑いに違いない。
そんな服装での屋外作業である。緊急の改善が望まれる。東京本社の
幹部から社員まで、そのような体験をしたことがあるのだろうか。
現場を経験したことのある人ではないと分からないことである。

 今も作業に当たっている人に心から感謝したい。そして言っても仕方が
無いことではあるけれど健康には注意してほしい。こうした人たちに
お金の話をするのは恐縮だが幾ら支払っても良いくらいだ。

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