メニュー
最新の記事
テーマ
カレンダー
月別
のんびり行こう。
新盆
2013年08月17日
テーマ:雑感
今年は昨年亡くなられた、知人のご両親の新盆でした。
お母様が数年間寝たきりで、お父様が介護をされておられました。
ところがお父様が倒れ、その日気温が高かったためにお母様も熱中症となり、知人は一度に突然ご両親を亡くしてしまいました。
つい先日も同じようなニュースを見て、驚いています。
どうかこれ以上、同じような悲しい事故が起こりませんように…。
私の父は、もうかれこれ8年前に亡くなりました。
病気が発覚したときはまだ60代半ばで、本人は治す気満々でした。
看護師だった母だけはいろいろ覚悟していたようですが、私はコロッとだまされて、当初は「治る」ものだと思い込んでいました。
治療開始しばらくが経って、薄々「もしかしたら危ないかも…」となったときにも、父にはなかなか会いには行けませんでした。
国外に住む私はそれまでは一年に一度帰るか帰らないかのペースでしか里帰りをしておらず、そんな状態の私が突然何の脈絡も無く父の見舞いに行けば、強気な割には繊細だった父に、最期が近いと思わせて弱らせてしまうと考えたからです。
そのせいで、危篤の知らせを受けてすぐに航空券を手配したものの、父には結局、永遠に会えなくなってしまいました。
あの時どうしておけばよかったのかは、8年経った今でも正直言ってよくわかりません。
亡くなった直後は「何が何でもやっぱり会いに行けばよかった」と激しく後悔したものの、突然の帰国は確実に弱気にさせていただろうこともやっぱり確かなことだと思うからです。
ただひとつ今でも悔やんでいるのは、「突然帰国」しても不審に思われないくらい頻繁に、しつこすぎるくらい両親の世話を焼いておけばよかったなぁということです。
今更遅いですが、これだけは、悔やんでも、悔やみきれません。
いつか来る「母の最期」のときには、もう、あの時のような後悔はしたくありません。
・・・という気持ちを、知人のご両親の新盆に際してまた改めて思い出しました。
「自分の親の最期」なんて考えたくは無いですが、どんなに準備していたつもりでも後悔せずに済むことなんてきっと無いのでしょう。
だって知人への新盆のお悔やみのお手紙内容を考えていたら、あっ、そうか、「お悔やみ」って、「悔しく、残念に思うこと」なんだ、ってハッとしたんです。
でも、私はこれからもずっと、母のためではなく「自分のため」に、悪あがきを続けていくんだろうなと思います。
写真は知人と、亡くなったお父様が5年くらい前に娘のために作ってくださったビーズの作品です。
どうか安らかに、そして一度にご両親を亡くした知人の心が、早く癒されますように。
コメントをするにはログインが必要です
吾喰楽さん、ありがとうございます
親の最期も考えられませんが、伴侶はなおさら想像できません…
6年の看護、本当に頭が下がります。
「やるだけのことはした」、私もそう言えるようになりたいです。
「その時々に、良かれと思うことをするしかない」、全くそのとおりですね。
何事も未だに試行錯誤の毎日ですが、焦らず頑張ります。
2013/08/17 21:17:58
後悔
吾喰楽の亡妻が発病したのは、ちょうど10年前です。
その時は既に末期の癌でした。
6年の闘病生活の末、亡くなった時は、やるだけのことはしたと、満足感がありました。
それでも、時が経つと、細かいことですが、後悔が出て来ます。
貴女の父親のことも、やむを得ないのではと思いますよ。
その時々に、良かれと思うことをするしかないと思います。
2013/08/17 18:28:20