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いつまでも浦和レッズ

スタジアム・デビュー 

2013年03月14日 ナビトモブログ記事
テーマ:思い出

今は“埼玉スタジアム2002”がメインになって、満席(63,700人収容)になってしまうことはまず無いが、そこが出来た日韓共催ワールドカップ(2002年)以前は、駒場運動公園競技場(今はレッズが命名権を得て、浦和駒場スタジアムと呼ぶ。)がフランチャイズだった。

娘が小学生の時、女友達のお父さん(以後、Oさんと記す)が浦和レッズサポーターで、二人を駒場スタジアムへ連れて行ってくれた。顔にペイントするのが流行っていた頃で、娘も何かのマーキングをしたまま帰ってきた。

その次のホームゲームが私の駒場スタジアム・デビューであった。勿論、Oさんとご一緒させてもらったのだ。

突然の観戦計画で、チケットは持って無かった。その頃の駒場スタジアムは約10,000人しか入れなかった。毎試合超満員で、当日売りなど有ろう筈は無かった。しかし、良く知っているOさんが、ダフ屋からバックスタンド2階席(SB指定席)のチケット1枚購入、私はそのチケットで入場し、Oさんがいる自由席エリアへ潜り込み、最後列で立ち見をした。

試合が始まる前からスタンドは熱気に溢れていた。試合が始まると統制のとれた、チームや個々の選手に対する応援に思わず引き込まれていた。ピッチ上の選手よりも、自分の周りのサポーターの熱気に魅せられたと言ってよい。それで益々、レッズが好きになった。

その後はOさんに頼らず、自分でチケットを手に入れる努力と、自由席の座席確保に開場の半前から順番待ちするなど労を惜しまなくなっていた。そうまでしても、座席はとれず、階段に腰を下ろすしかなかったことが多かった。

駒場スタジアムは、レッズがJ2に降格してしまった試合も、翌シーズンJ1に復帰を決めたJ2最終戦も実際に目にした、懐かしい場所である。



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