温泉大好き人間

飾り凧 武者絵 - 源頼朝 

2013年01月23日 外部ブログ記事
テーマ:テーマ無し

家の者が近くのJRの駅ビルにあるミニ・ショウルームでパッチワーク展をやっているから見に行こうと出掛けた。会場の入口付近に、もう松の内もすぎたのに、色も鮮やかな飾り凧があった。1月中はお正月気分が、ボクのように仕事から離れていると、まだ続く。その凧の武者絵は「頼朝」だ。この辺は鎌倉に近いので「源頼朝」なのかな?ボクは男の子を育てた事がない。よく近くの広場でお正月前後には父親が男の子と凧揚げなどをしているのを見ると羨ましく、未だに、思える。去年生まれた孫も女の子だ。しかし、最近は女の子で良かったとつくづく思うようになった。何かに付け母親に相談しに来るし三姉妹とも同じ県(市)内に住んでいるから比較的頻繁に訪れて来る、それに優しい。その子供達も年齢相応におばさんになって来て貫禄と云うか、それぞれの家庭をしっかり守っている様なので父親としては嬉しい。今日、23日は24日に行く予定だった「箱根の湯」へ雪の天気予報の為、急遽変更して行くことになった。ボクは家でぐうたらして、その疲れを癒しに温泉へ、....頼朝は戦の疲れを癒すために温泉に入ったのだろうか?何度も見入ってしまった武者絵の六角凧そう云えば、去年の秋に頻繁に訪れた群馬県の川原湯温泉、源頼朝と縁が深いらしい。「川原湯の歴史- 源頼朝の温泉と湯かけ祭り」 建久4年(1193)、源頼朝が浅間狩りの折り、今の川原湯のところを通りかかりました。その時、山の中の中腹から湯煙が出ているのに気づき、温泉を発見したのです。そこで頼朝は、そばにあった大きな石を王石(またの名を衣掛石)と呼ぶようになりましたしかし、この石は昭和の初め、温泉街の道路を拡張する時に土中に埋めてしまい、今は残念ながら見ることはできません。)それから約400年が過ぎたある日のこと、突然温泉が出なくなってしまいました。村人達は困り果てましたが、そのうちひとりが温泉の匂いをかいだところ、ニワトリの卵をゆでたにおいがします。そこでニワトリを生贄(いけにえ)にしてお祈りしたところ、お湯が再び出てきたのでみんながお祝いをすることになりました。初めは「お湯わいた、お湯わいた」と言って喜んでいましたが、そのうち「お祝いだ、お祝いだ」と言ってみんなでお湯をかけるようになりました。 これが、厳冬の朝、賑やかに行われる奇祭「湯かけ祭り」の始まりということです。 .....とのこと。肝心のパッチワークの作品はいづれも力作でしたが、ボクの..

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