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ももこのひとり言
あれから 早や一年
2012年06月23日
テーマ:テーマ無し
今月4度目の故郷の街へ、
今日は母の一周忌の法要だった。
104歳まで一生懸命に生きた母だったけれど、先に逝って待つ父、姉たちのもとへ逝って間もなく一年が過ぎる。
言葉の聞き取れない住職のちょっと長いお経を聞きながら、母のことを想った。
68歳で父を見送って36年。
15年間は一人ですべてをやり通した。
子どもたちは皆県外に暮らしているので、ご近所に迷惑をかけてはならないと、食生活にはことのほか気をつけていた。
今、思っても私には到底真似はできない。
後半は定年を迎えて帰郷した長男夫婦と同居生活になった。
その20年、母にとってどのような日々だったのだろう。
兄達と同居の年、姉に脳腫瘍で先立たれた。
母にとって最大の悲しみだった。その時兄が一緒にいてくれたことに救われた。
気丈な母だったから、その後姉のことを口にしたことはなかった。
それだけ深い悲しみだっだのだろう。
最後の20年、自らも高齢者となりながら母の世話をしてくれた兄夫婦には感謝の気持ちしかない。
揃って80歳を越えた兄夫婦はこの一年ですっかり年老いた。
支えがなくなったように思う。
元気で今度こそ自分たちの生活を楽しんで欲しい、と願うばかり。
「讃歎の供養」住職の言葉である。
「お母さん、長い間本当にありがとうございました。残された者、元気にこの場に集うことができましたよ。来年もまたね。」
母の白寿を祝ったのと同じ場所で会食、
その部屋から、瀬戸内海の向こうに讃岐富士が聳えていた。
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かをるさんありがとう
母ってすごいでしょう?
100歳を越えても私は母はいつまでも生きていてくれるとなぜか信じていましたわ。
昨年春まで新聞に投稿をしていたのですよ。
年齢がものをいったのか何度か採用されました。
2012/06/23 22:59:05
いいご供養でしたね。
ももこさん、ご法要ごくろうさまでした。
それにしてもお母さま、104歳生きられたのですね。それもお父さまを送って36年
すごいと思うわ〜
亡くなってから、その人となりが分かると言います。
偉大なお母さまだったようですね。
残されたものは、お母さまが悲しまないようにがんばって生きていくことですね。
ワタシもお母さまのご冥福をお祈りいたします。
2012/06/23 22:46:33