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迷いあってこそ私

恵方巻に思い出すこと 

2012年02月04日 外部ブログ記事
テーマ:テーマ無し



恵方巻の習慣は持っていなかった。


数年前、いや10年前になっていた。
新しい職場は、人生の挫折感から脱しきれず、それぞれに寂しい寒さを持つ仲間が集っていた。

毎日の昼飯作りを仕事とした。
勿論、プロの技よりも、食を得ることが主目的。
会社や、家では包丁を持つことは無論、スーパーマーケットに買い出しに出ることさえない。
しかし、
その職場では、徐々に誰もがその役割を担うようになった。

笑顔の日々。
鼻唄が、やがてみんなの歌声となった。
笑い声が常に響く。
静かなマンション群のなかで、苦情が出るかと心配もしたが、
「留守家庭が多くて物騒だから、ありがたい」と、自治会に言って頂く。
存在自体が、ある時を境に自信を失っていた仲間にとって、どれだけの意味を持つか。



初めて自分の手で作る恵方巻。
方角を定め、いっせいので!の掛け声で食べ始める。
喋ってはいけない。
何やら、その空間が
可笑しい。
笑を堪える。福得たさに、必死で笑いを堪える。

遅れてきた仲間は知る由もなく、無言のその空間に戸惑い、
しまいに泣き出す。
喉を詰まらせながらも、急いで食べ終わり、遅れて来た仲間に詫びをいれる。

やがて、一人、二人と食べ終え、謝る輪が広がる。

痛みを共有出来る仲間だからこそ、
作り出せた幼いまでの連帯感。

グループは、その後 進化の道を辿るが、進化はこの優しさを維持できるのか。

昨晩もm恵方巻を作りながら、その日を思い出した。
仲間たちも、思い出すかしら。
優しいことは強いことだと、自信を持ち続けてほしい。

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