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人生いろは坂

恵みの雨 

2012年01月20日 外部ブログ記事
テーマ:テーマ無し



 昨日、今日は久々の雨で朝からうっとうしいお天気が続いている。海をはさんで向かい側の香川県
では35日ぶりに乾燥注意報が解除になったと放送されていた。雨らしい雨はそれくらい長期間
降らなかった。

 真冬にも関わらず我が家では何度か畑に散水をしたくらいであった。庭も乾燥しきっており風が
吹けば砂塵が舞うような状態であった。

 とかく冬と言えば瀬戸内は乾燥気味ではあるが、このように雨の少ない年も珍しい。ともあれ果樹
にとっても野菜にとっても恵みの雨であった。

 さて17年前の2月17日は阪神淡路大震災の日であった。この日、私はいつものように早起きを
し掘り炬燵の中で勉強をしていた。地震は何の前ぶれもなくいきなりやってきた。ドンと下から突き
上げるような激しい振動であった。かつて経験したことのないような揺れであった。

 目の前の壁が柱から離れ隙間が見えていた。揺れの時間は短時間であったが、ただ事ならぬ揺れで
あった。これは近隣の地震に違いないとテレビを点けてみると震源地は神戸であった。

 後に震度7と修正されたが、発表の時点では震度6くらいだったように記憶している。この日は
一日中震災報道一色であった。早朝だったこともあって倒壊家屋の中では多くの犠牲者が出た。

 火事も多数発生した。冬空に立ち上る幾筋もの黒い煙が妙に印象的であった。長田町など一面を焼き
尽くす火災であった。

 私は仕事のやりくりをして一ヶ月後に震災地に立った。実に寒々しい光景であった。三宮まで行き
ここで下車し長田町方面に向かって歩いた。ビルなど一部の撤去作業は始まっていたものの民家などは
ほとんどそのままの状態であった。墓地の墓石が折り重なるように倒れていたのが印象的であった。

 一方、近年建設したばかりだという高層ビルは何の変化もなく立っていた。その姿も印象的であった。
長田町は戦災の写真と同じような光景であった。広大な焼け野が原であった。

 東日本の津波被害にあった地も同じような光景なのだろうか。神戸がそうであったように復旧まで
には、これから長い時間を要することであろう。そして被災原発の処理は更に長期期間を要すること
であろう。被災地はこれから本格的な雪の季節を迎える。一日も早い春が訪れることを祈っている。


 私は昨年の様々な出来事を振り返りながら、更には私自身の人生の大きな転機を新年の挨拶として
書いてみた。一部の人には重複することになるかも知れないが掲載しておく。



明けましておめでとうございます。

 昨年は春浅い3月11日に大震災と大津波、そしてそれに伴う原発事故、まさに最悪の年になって
しまいました。多くの命が失われ、そして多くの方々が故郷を離れざるを得なくなりました。

 それでも打ちひしがれることなく立ち上がりつつある人も少なくありません。北国に生きる人達の
たくましさを感じています。

 世界に目を転じますと中東に吹き荒れた民主化の嵐、ヨーロッパの経済危機、北朝鮮の指導者の
突然死等々色んな出来事がありました。そして温暖化に伴う気候変動が世界各地や日本にも大きな
災害をもたらしています。

 2012年も引き続き色んな事件が私達を驚かす年になるような気がしてなりません。こうした
出来事を見ていますと世情に疎い私にさえ人間世界に何かしら大きな変化が起きつつあることを
感じます。人は如何に生きるべきか、個々人に問いかけられている、そんな気がしてなりません。

 振り返ってみますと小さな天体で相争い、競って経済発展を追い求め、挙げ句の果ては気候変動
という思いがけないものに遭遇しています。これら全て私達の生き様から生じたものです。

 このまま突き進むのか、それとも反省をして新たなる道を目指すのか。それは地球人全てに問い
かけられていることだと思うのです。

 私事ですが昨年の3月20日に「最後の五匹」という誠に予言めいたミュージカルを成功させ、
その後に請われて新しい仕事に就くことになりました。この仕事はある意味、自分でも漠然たる
あこがれを抱いていた仕事でもありました。児島に出来た市民交流センターの仕事です。

 文字通り市民交流センターを交流の場として活用して貰うため企画を立て大勢の人達が集う場所
にしていく仕事です。既に色んな人との出会いがあり様々な講座やイベントが立ち上がろうとして
います。

 私の人生を振り返ってみますと全てのことが、この日のためにあったような気がしてなりません。
過ぎ去った過去は、そのための長い道のりだったような気がします。何かに生かされ何かに促され、
流れ着くべきところに流されている。そんな気がしています。

 長い間の皆様方のご支援に心から感謝しつつ、これからも変わりなくご指導ご鞭撻、ひいては
ご叱責を賜りたくお願い申し上げます。

 最後になりましたが皆様方のご多幸とご健康を心よりお祈りしています。

2012年1月     矢吹 勝利
追伸
 昨年は多くの地域で活弁を鑑賞していただきました。ほんのお付き合い程度で始めた活弁ですが、
いつしか私達夫婦のライフワークのようになってしまいました。いつまで続けることが出来るか
分かりませんがこれからも「夫婦活弁士(みょうとかつべんし)むっちゃん かっちゃん」として
愛して頂けるよう、より一層、芸に磨きをかけがんばっていきたいと思っています。応援して下さい。

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