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作品名 アカンタレの話(40) 評価 評価(1)
タイトル アカンタレの話(40)
投稿者 比呂よし 投稿日 2014/02/04 09:58:55

+++主任教授の斡旋に逆らう学生は居なかったし、
大企業の口を辞退するのは稀だったから、周囲から私
は変わり者と見られた。  

40.眠れぬ精神構造

 社長になれそうな手頃なサイズと考えて、代わりに
大阪の中規模の企業T社へ入った。輸出部に配属され
たが、社内でエリートコースと見られていた部署で、
三十前に海外へ何度か派遣された。
 お陰で語学が上達したのは後で考えると有り難く、
生涯の財産となって身を助けたから、今で言うキャリ
アを積んだ事になる。これは幸せであった。

 けれども、七年居てエリートコースの会社を辞め
た。お前を何の為に大学までやったのか判らない、と
投資効率を第一に考えた親は愚痴った。私は会社自体
に不満があった訳ではなく、「ここにいても、矢張り
社長にはなれない」と考えたからである。

 年月を掛けて一歩一歩社内で昇進して行き、双六遊
びみたいに最後の上りで社長になるーーーという手
順を、私は望んでいなかった。第一に、まどろっこし
く時間が掛かり過ぎるし、次に他人が昇進を左右する
運任せが嫌いだった。となると、目標の達成は確かに
難しかった。なぜなら、じゃどうすれば良いか、が判
らなかったからである。

 大阪から高知県へ居所を移して、鉄砲を作る会社へ
入ってもう一度運を試した。喫茶店も経営した。ダス
キンの経営も試した。そんな過程で頭を悩ませたの
は、社長になる為の「なり方」が判らなかった事で
ある。今のようにインターネットがあったり、起業や
ベンチャービジネスが当たり前の時代ではなかった
し、人の意識も違った。第一ベンチャーなんて言葉自
体も無かった。

 「なり方」を誰かが指南してくれる訳はなく、職場の
同僚が相談に乗ってくれる訳でもなかった。自分の持
ち駒は、大学で習った造船工学と、英語で文章を書け
る位なもので、他に何か目を引く技術や秘策がある訳
でもない。しかも金も無いから、頭ばかり大きくて、
何の役にも立たなかったと言える。

 「アカンタレでない!」のを証明するために、転職
を繰り返しながら、早く「社長にならなければーー
ー」という思いが始終私を苦しめた。三十を幾つか越
え四十が目前になる内に、「この歳になっても、未だ
社長になれていないーーー」と、自分を責めた。絶望
的な思いにとらわれて眠れぬ夜を苦しんだ事が、何度
かある。

 「明治ではないぞ!」と言った主任教授へ、私が何
の為に逆らったのか意味が無くなるし、このままでは
人生を失ってしまう。焦りながら、残りの年齢を指折
り数えた。赤味を増して西に傾き行く太陽を捕まえよ
うと地平線に向かって追い掛け、追いすがろうとする
悪夢にうなされた。夢から覚めると、「社長になって
いない」自分を発見して、ひそかに涙ぐんだ。

 工場であっても商社であっても、人殺し以外なら何
でも良かった。出来ればローカルよりも全国規模であ
った方がいいけれども、なるべき社長の種類は問わな
かった。「ーーー社社長」の肩書きだけが欲しかっ
た。
 願望が、達成されなければ生きる価値も意味も失っ
てしまう、とまで思い詰めた。それは、むしろ強迫観
念に等しい。

 他の人達がそんな事を考えたり悩んだりせず、呑気
そうに暮らしているのは、彼らが人として人格に欠陥
があるせいだと思った位である。私は一種の精神を病
む人間で、そんな思考の世界から長い間抜け出られな
かった。
 外見は素知らぬ顔をしていたから、同居する配偶者
もそんな私の苦しみや精神構造に気付くことは無か
った。ただ、神経質で転職の好きな、顔の暗い男だと
見ていた。
(つづく)

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