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作品名 アカンタレの話(16) 評価 評価(1)
タイトル アカンタレの話(16)
投稿者 比呂よし 投稿日 2014/01/11 12:45:05

+++「あと どれくらい?」同じ質問を私は十数
回以上も繰り返していたが、これが最後の問いであ
る。
「もう少しーーー」
「ーーーー」
「ジュースを上げる」女は同じ手をもう一度使った。
「ーーーー」こっちは、もう騙されなかった。

16.異次元の世界
脚が棒のようになり、これ以上動けなかった。辺
りが夜の闇のように暗く感じ、山の気が満ちた木立
の中に立つ女の姿が、はっとする程綺麗だった。女
は近寄って私の目を覗き込んだ。

 間近に見る女の濡れた黒い眸(ひとみ)は、何の
感情も現わさず、山の湖水のように静かであった。
まるで幼児の手を引くみたいに、女は黙って私の片
手を取り上げてから、じっと顔を眺めた。

周囲の静寂が私を圧迫した。幻想と現実世界の境
目が、はっきり区別を付けられなかった。そんな神
秘的な空間に、女が平気で突っ立っておれるのを見
て、背筋が震えた。人ではない、気がした。

震える気持を抑えて、けれどもプライドだけは意
識して、私は懸命にかすれた声を出した:「遅くなり
そうだから、ここで、もう帰るよーーー。戻れなく
なるといけないからーーー」
そう言いながら、体が硬直していた。油汗が滲ん
だ私の顔は、青白く憔悴して見えたろう。女の顔に
わずかな笑いの気配さえ無く、静かであるのが怖か
った。女は私を引き止めようとはしなかった。これ
以上引っ張るのは無理と判ったのだ。

女と別れるや、恐怖に駆られた私は、後も見ずに
元来た道を転がるように駆け下って行った。女が直
ぐ後ろを追って来て首筋を掴まれそうな気がして、
冷たい汗が流れた。跳ぶような速さで元の登山口ま
で戻ったが、よく転んで怪我をしなかったものだ。

そのあと、青い顔をして普段より遅く帰宅した私に、
母親が理由を尋ねたかどうか、私がどう言い訳した
のか、などは覚えていない。しかし、訊かれても決
して本当の事を言わなかったのだけは、確かである。
(つづく)

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