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作品名 アカンタレの話(26) 評価 評価(1)
タイトル アカンタレの話(26)
投稿者 比呂よし 投稿日 2014/01/21 09:23:34

+++山麓を走るたびに、小さな白い見晴台らしき
ものは私へシグナルを送り続けたが、「何時か機会
があれば」の機会はとうとう巡って来なかったので
ある。

26.目のうろこ
 熱中して走っている時、年月はアッと言う間に過
ぎる。試しにアッと言ってみたら、たちまち二十数
年が過ぎ、何時しか六五になり、社員の数は二名か
ら二十名になった。十倍だから、爆発的拡大と呼ぶ
事にした。

 ある秋の日矢張り同じ高速道を走っていて、遠く
に小さく見える見晴台に、何故か気持ちが惹かれた。
拡大した会社の経営も安定して、気持ちに少しはゆ
とりが持てるようになったからか、あそこへ登って
四方を眺めれば、景色が良かろうなと、初めて具体
的な願望になった。何処が登山口なのか見当が付か
なかったが、「次の正月の休みに、登ってみようー
ーー」となった。

 しかし、何かが私の邪魔をした。残念な事に正月
に激しい雪が降り、貴重なチャンスを失ったのであ
る。見晴台の方でも、さぞがっかりしたに違いない。

 年月は川のように簡単に流れる。もう一度アッと
言ったら七十になり、社員は三十名になった。
 冬の初頭、十二月初めの寒い土曜日の夕方、明石
から須磨方面へ同じ高速道を走っていた。配偶者と
一緒に息子の運転する車に同乗して、私は助手席に
座っていた。
 
 息子も私がこしらえた会社で働いている。一緒に
家族で神戸の町へ夕食に出かけたのである。走り慣
れた須磨アルプス連峰の山裾を通過しながら、前方
に夕日を反射して小さく赤く光る、何時もの見晴台
らしきものに私は目を留めていた。
 こんな立場で眺めるのは初めてである。同じ景色
でも、自分が運転しながら眺めるのと、助手席で眺
めるのとは明らかに違う。思考する時間が与えられ
るからだ。

 高速道から眺めると、見晴台がある山は須磨アル
プス連峰の東端に位置している。昔私が潮見台町に
居た頃に登り慣れていた鉄拐山とは、隣同士で互い
に仲良く左右に並んでいる。見慣れた何の不思議も
無い景色である。
 けれども、同じ二つの山をもし尾根向こうの潮見
台側から眺めるとしたら二つは縦に並んで見えるの
ではないか! これは、ちょっとした発見であった。

 いや、見晴台の山は標高がやや低いから、縦に並
べば鉄拐山の丁度背後に隠れる形になる。私が昔馴
染んでいた登山口方面からなら、鉄拐山に隠されて、
見晴台の山の存在がまるで判らない仕組みになって
いると気付いた。突然、「ことによるとーーー」と
いうひらめきが、一瞬脳裏をよぎった。目のうろこ
が落ちる気がして、懐かしい気持に襲われた。

 大急ぎで考えを進めた。それなら、見晴台の山へ
の登山口は一体何処にあるのだろう? それは判ら
ない。けれども、車窓から眺める二つの山は高低差
があっても、隣同士尾根続きの連峰になっている。
理屈から考えれば、それが近道ではないとしても、
昔の登山口から辿って行けば、見晴台まで行き着く
のは可能な筈である。

 山の地形から観て、速足で、そうだ!「鬼さんこ
ちら」の「跳ぶような足取り」で歩けば、昔の登山
口から精々四十分位のものか、一時間も掛かるまい。
 昔小ニの彼女が速足だった秘密が判った気がした。
陽足の短い冬場など、学校からの帰り道で今のよう
に午後の陽が西に傾く時もあったろう。その為に習
慣として、山道は俊足で歩き抜けるのが癖になって
いたのではないか? 

 私という足手まといがおらず彼女独りなら、見晴
台の根元にーーー「在る筈の茶店」まで、昔の登山
口からきっと三十もあれば歩き抜けたに違いない。
彼女の速足は生活の知恵であって、私への当て付け
でも意地悪でもなかったようである。女のもう一つ
の謎が解けた。
(つづく)

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