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上海大学シニア留学日記

中国福建省周遊の旅〜世界遺産福建土楼(3日目) 

2011年11月30日 外部ブログ記事
テーマ:テーマ無し

今日は福建省周遊の旅の3日目。
今回の旅行の私の最大の目的である永定の
世界遺産福建土楼を観に行く日だ。
世界遺産の名称は福建土楼というが、厳密には
客家土楼(ハッカドロウ)と言う。


いつもより早く8時に永定に向けホテルを出発。
永定はアモイの西、約185km、バスで3時間半の
距離だ。さらに客家土楼の中でも一番有名な「承啓楼」
のある場所は山道をかなり登った山間地にある。



(承啓楼の鳥瞰図)


客家はもともと黄河の中原と呼ばれるエリアに住んでいた
豪族が戦乱を避けるため、各地に逃れたとされる。
彼らが辿り着いた場所では、辺鄙なところに住まざるを得ず、
自然災害や強盗、猛獣から身を守るため、堅牢な建物を
築き、一族数百人がで身を寄せて共同生活をした。
中国国民党の孫文、中国共産党の?小平、シンガポールの
リー・クワンユー、台湾総統の李登輝などは客家出身と
言われている。


福建省の土楼は2008年世界遺産に登録されたばかりだ。
つい数年前までは、道路が整備されてなく、一般旅行客は
来れなかったと言う。


さて、その世界遺産の「承啓楼」には11時50分頃到着。
永定の土楼群は今日も良く晴れて、真青な空にくっきり
と映える。近くで見ると相当な大きさだ。
この土楼、1709年着工された円楼でその内側にも二重に
円楼が建てられ、中心に祖堂が配置されている。
4階建て、合計400室、最も多い時には80余戸600人
以上が住んでいたという。
1階が台所、2階が倉庫、3階以上が居室となっている。
1階、2階には窓がなく、3階以上に小さな窓が作られている。





(世界遺産記念碑)



(承啓楼
をバックに)




(承啓楼の祖堂)



(承啓楼の内部)


日本では考えられないほどスケールの大きい住居だ。
これを見れただけで、これまでの旅行会社の不備は
すっ飛んでしまうほどの感激だ。



(周辺はバナナの木が多い)


承啓楼を見学した後、方形の「世澤楼」を見る。





(方形の世澤楼の入口)




(世澤楼の内部)




(煙草を巻いて売っている。)


その後、地元の食堂で田舎料理の昼食を摂る。
店の前で、調理人の若者がカエルの皮を剥いでいた。
結論的に言えば、ここの料理大変満足のいく味と内容
だった。





(カエルの皮を剥いでいる。)




(昼食の田舎料理は美味しかった。)

昼食後は、再び土楼巡りをする。
方形の「慶雲楼」を見学した後、円形の「振成楼」を見る。
「振成楼」は10元出して、4階まで見学させてくれた。
どの土楼も世界遺産になって観光ブームになったせいか、
1階では小さな土産物屋が店を広げている。
紙巻きタバコを実演販売し、一箱5元で売っている。
村の近辺もホテルなどの建築が始まり、地元住民は
一獲千金を目論んでいる。
どうか、素朴な自然景観を守って欲しいものだが、
中国人とこの点は感覚が違うようだ。




(方形の慶雲楼の内部)




(円形の振成楼では10元を払って4階まで上った。)

14時15分、永定を出発し、アモイに帰る途中、樟州市
に立ち寄る。樟州市は花と石材の産地だ。日本にも
墓石などが輸出されていると言う。
バスを下車し、「明清古街」を散策する。
確かに、建物は明清時代に建てられたものだが、1階は
今時のファッションの店となっていて、全く趣がない。
その「明清古街」も来年は壊され、高層ビルに
再開発されると言う。




(樟州市明清古街)


16時20分、樟州市を出発。途中の沿道はバナナ畑が
延々と続く。20時にアモイ市内の夕食のレストランに到着。
郷土料理だそうだが、昼間の田舎料理の方がよほど
美味しかった。



(夕食の郷土料理)



食後、オプションのマッサージに3,000円払って参加する。
病院のようなところで、薬草の匂いが充満していた。
マッサージは学校を卒業したインターンがしてくれ、とても
良かったが、別な人に代わった足つぼマッサージは
全く力が入って無く、いただけるものではなかった。


22時過ぎホテルに戻り、シャワーを浴び、缶ビールを2缶
飲んで23時に就寝。

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