筆さんぽ

もう少し生きよう桜が美しい 

2024年04月08日 ナビトモブログ記事
テーマ:俳句鑑賞

きのうのブログでこの句をご紹介した。

もう少し生きよう桜が美しい   青木敏子

(作者のことは調べたが、よくわからなかった)
日本人は桜と死生観を結びつけることが多いが、この句は、そうではないように思う。

特攻隊の基地のひとつ、鹿児島の知覧をかつて訪ねたことがある。「知覧特攻平和会館」は特攻基地の跡地に建ち、入口には染井吉野の桜並木がある。会館の展示室に特攻隊員の遺品と並んで「出撃を見送る女学生」と題された写真があった。

女学生たちは手に手に桜の枝を持っている。かつては日本男児、祖国のために桜のごとく「散りぎわ美しく」死んでこそ本懐と若者が死に急いだ。今でもこの桜観は言葉を変えて残っているように思えるが、桜には迷惑だろう。

そろそろこの桜観の呪縛から解放されてもよいのではないだろうか。花咲く季節には、木を染める淡い紅色の「美しい桜」を、ただただ素直にほめてあげたい。

この句の「もう少し」に目が向く。あと何回この桜が観られるか、といった桜から連想される考えを経ているのではないであろう。

目の前の満開の桜の明るさのなかにいるうちに、ふと口をついて出た心のフレーズではないだろうか。いまを咲く桜は、咲き満ちると同時に翳り始め、散ってゆく。それでも目の前の桜は美しい。

いきいきと輝く美しいものに出会うと、ふと、「もう少し生きよう」とため息をつくように、うっとりとすることがある。

三回繰り返して読んでみた。
「もう少し生きようあなたが美しい」と、春のため息をつくことになる。



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