筆さんぽ

「長屋の花見」タイランドスタイル 

2024年03月28日 ナビトモブログ記事
テーマ:エッセイ

さながら「長屋の花見」であった。

サラカーン(市役所)前の広場に植えられた、日本の桜に似たカンラパプルクの木の下で「花見」をたのしみたいと思って、世話になっているゲストハウス裏の長屋の知人たちを誘った。
もっともタイには花見といったイベントはなく、花見だと思っているのは、ぼくだけである。

タイの2月中旬ころから5月中旬ころは、「ルドゥー・ローン」と呼ばれる暑季、一年中暑い国の「真夏」である。美しい花が鮮やかな色を散らして咲き乱れ、熟れた果実の甘い香りが空を満たす。恵みの季節である。
 恵みの季節というものの、30度を軽く飛び越える昼日中、花を愛でながら料理に舌を鳴らし、盃を重ね合おうなどとは、タイの人たちだったら、まず誰も考えない。

ぼくが勝手に「姐さん」と呼んでいるゲストハウスの主人は、「日本人はろくなことを考えない、スーブー!(まぬけ!)」と、まったくとりあってくれないが、息子の警察官ブン巡査や、長屋の住人で病院に勤めるホスピタル、焼き鳥屋台のソムタムはもとより酒大好き、宴会大歓迎、断るわけはなく、面白そうだとのってきた。

話が決まると、あとははやい。
ブン巡査が知り合いの店から「職権」でメコン・ウイスキーの大瓶を「押収」してきた。焼き鳥屋台をやっている長屋の住人ソムタムは、肉代と炭代だけもらえば料理はまかせろと焼き鳥と、パパイアのサラダ、ソムタムを用意した。ホスピタルは病院で非常時に使うという赤十字のマークの入ったテントをもってきた。炎天下、テントなしでは暑さに慣れているタイの人でさえ、気分が悪くなってしまうからである。ぼくは市場で材料を買ってきて、姐さんにエビの塩焼きやイカの煮物、タイ風ビーフジャーキーを作ってもらった。

そもそも日本の花見というのは昔から伝わる高尚な遊びで、花を愛でながら酒を酌み交わし、かつ仲間と語り合うことである。とぼくが講釈すると、ブン巡査が早速仲間をふやそうと、友人の郵便配達人のブンレックを連れてきた。

ブン巡査が勝手に、日本の花見には「色気」も必要であると付け加えたので、ブンレックは背が高く彫りの深い顔立ちのイスラム美人を連れてきた(仏教国のタイではほとんどが仏教徒だが、わずかだがイスラム教徒がいる)。ホスピタルは夜勤明けの若い女性の看護師さんを二人呼んできた。ふたりとも白衣のままである。タイでは工場に勤めている人は工場作業着で、銀行の女性事務員さんは、その銀行の「柄」のブラウスのまま通勤する。銀行からはブラウスの生地だけ支給され、デザインは自分の好みにしてもよいと聞いた。

 花見の参加者は全部で8人、ソムタムの屋台にゴザやテント、酒や料理を積んで、ぞろぞろと長屋を出発した。
花見の参加者は全部で8人、ソムタムの屋台にゴザやテント、酒や料理を積んで、ぞろぞろと長屋を出発した。

勤務中のブン巡査は、制服に制帽。続いて歩くのは白衣の看護師さんたちと、スカーフを巻いたイスラム美人。ブン巡査が賭博の現行犯を連行しているみたいだと笑う。ぼくには仮装行列のように思えて、いっしょに笑った。

めあてのカンラパプルクの木の下で、いよいよ日本スタイルの花見のはじまりである。
 ぼくたちはちょうどカンラパプルクの花を見上げるところに、ゴザを敷きテントをしつらえた。そして車座になって料理と酒を囲む。
 ところが、キョロキョロとどうも落ち着かない。
 通りすがりの人たちが、見世物小屋を覗くようにジロジロと観察しているからである。しかも、赤十字のテントのなかに看護師さんや警察官がいるものだから、「事件があったのですか?」と聞いてくる人もいる。やがて、遠慮のない子どもたちはテントの前にしゃがみこんでニコニコと笑っている。
 
だいたいがタイの人たちは、もちろん例外もあるが、静かに酒をのむことが多い。ましてや真っ昼間、観光地ならともかく、開放されているからいえ、市役所前の広場でゴザを敷いて車座になって酒を飲むなんて、奇行、蛮行なのである。

酒を飲まないイスラム美人は、焼き鳥もエビもイカも大嫌いと言って、高い鼻をさらに高くしてそっぽを向く。その向いた方にブンレックが座り、どんな理由で連れてきたかわからないが、手を合わせて謝っている。看護師さんは、患者さんに見られたら婦長さんに言いつけられると困惑し、ホスピタルに「あなたは患者になってちょうだい、私が看護するから。そうすれば仕事しているみたいでしょう?」と無茶をいう。ホスピタルが「それではオレが困る」とごねて、ゴザに横になってしまい、結局「患者」になった。ソムタムは美味しい焼き鳥だよといって、味付けを説明するが、誰も聞いていない。ブン巡査は、立場もあるのだろう、オレは警察官なのだからお前たちを「監視」しているのだと、花見をまったく理解していない。
 ぼくは、このシラけた雰囲気とは反対に、「南の国の真夏の花見」なんて、そうかんたんに体験できるものではないし、カンラパプルクの花もほんものの桜のようでいい気分だなと、ひとり悦にいってソーダで割ったウイスキーを飲んでいた。
そもそもぼくが花見を思いたったのは、サラカーン広場にあるこのカンラパプルクの花が咲くのを見てからである。
(つづく)



拍手する


コメントをするにはログインが必要です

PR

上部へ