筆さんぽ

男らしさ 

2024年02月19日 ナビトモブログ記事
テーマ:読書案内

「男らしさ」を定義するのはやっかいである。女性からみたとき、男性から。さらに、ジェンダーをからめると、こうであると決めること自体ナンセンスであろうか。


「(東京目黒の)柿の木坂にある実家から傘をとって来ようとヨイが決心したのは、三日間雨が降り続いた次の日だった」

鷺沢萠(さぎさわ めぐむ)の短編集『海の鳥・空の魚』(角川文庫)のなかに「柿の木坂の雨傘」という話がある。鷺沢さんは、かなり前、「女子大生作家」として19歳でデビューした。鷺沢さんにはむかし、仕事のことで会ったことがある。麻雀が好きで、自著よりも熱く語っていたことを思い出す。

ヨイは、「父の言うところの『正体不明の男』と結婚して勘当された。「ヨイは良い子だ。良い子になるように、ヨイと付けたんだぞ」。父はきまってそう言った。雨が降るたびに、心を重くしたのは一本の傘である」。「半年前、ヨイが最後に実家を訪れた日も雨が降っていた。
 

「ギムレットには早すぎる」。レイモンド・チャンドラーのハードボイルド小説『長いお別れ』 (ハヤカワ・ミステリ文庫)のなかの台詞である。これは「ギムレットを飲むには年齢が早すぎる」などという意ではない。ミステリーの体裁をとった小説なので、これから読む方のために、くわしく書けないが、この台詞がミステリーを解く「合図」になる。主人公のフィリップ・マーロウは、頑固で男臭く、自分の考えでしか動かない。が、これを正しいと思っていないところも男らしい。だから、他人にそれを押しつけることもなく、文句もいわない。ちなみに、ギムレットはドライジンにライムを搾り(ライムジュースを注ぎ)シェークする。ライムの酸味とほのかな苦み、あくまでも辛口に男らしさを演出する。


鷺沢萠さんの「柿の木坂の雨傘」に戻る。
「二度と帰ってくるなと言われ、歯を食いしばって軒先の廂から一歩踏み出したその途端、濡れた舗道がヨイの目に飛び込んで来た。(結婚した勇司の)傘を忘れた。そう気づいたらしゃがみ込みたくなった」「柿の木坂の生まれ育った家にヨイが置き去りにして来てしまったものは」まだたくさんあるが、勇司の傘は特別なものであった。

あとになってから、ヨイは実家に傘を取りに行く。実家の近くの煙草屋から電話すると、父が出た。傘を取りに来たと伝えると、そこで待っていろという。父が自転車で来た。

「勘当した娘を、家にあげるわけにはいかん」
「うん」
「お前、歩いてきたのか」
「うん」
「これ、乗っていけ」
「うん」
「車に気をつけろよ」
「うん、父さん」

しばらくしてからヨイは、自転車のカゴの中に白い封筒があるのに気づいた。封筒には分厚い祝儀袋が入っていた。「結婚祝い」。ヨイは心のなかでつぶやいた。「父さん、ヨイは今でも、これからもずっと、良い子でいるよ」
  ヨイの父のような、男らしさもある。

実際の鷺沢さんは、父にとって「良い子」ではなかった。悲しいことに東京・目黒の自宅で自裁した。三十五歳。残念でならない。


春淺し止まり木と呼ぶバーの椅子   戸板康二
バーのカウンターでのウイスキーを飲むというのも、若いころは「男らしさ」を気取りたくて、よく出かけた。
太宰治の写真で有名な銀座の「ルパン」に行ったことある。カウンターの椅子はまさに「止まり木」で、座ると足が宙に浮いた。落ち着かず、「止まり木」におっかなびっくり止まる春の鳥のようだが、カウンターで飲むというのは足が浮いても絵になっているにちがいない、と思いこんでいた。
浅くても春は春だ。



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