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筆さんぽ
彼女は「今しかない」と考えた
2024年02月17日
テーマ:読書案内
イソップの寓話をくつがえすような北風強く、散歩をひかえ、司馬遼太郎『風神の門』を開いた。この一節が気になった。
(真田)幸村は、男はたれでも、自分の才能を世に問うてみたい本能をもっている、といった。男が世に生まれて生きる目的は、衣食をかせぐためではなく、その欲を満たしたいがためだ。
「むろん、煎じつめれば、それも屁のようなものさ。しかし、その屁のようなものも当人にとってみれば、たいそうなことだ。ひらずに死ぬかと思うと気が狂いそうになる」
ここでは「男は」と限定してあるが、気になるのは、このことは女性のほうも旺盛であることがわかったからだ。
あるとき、散歩の途中でなじみの古書店に立ち寄った。手にしたのは五木寛之の短編集『白夜物語』(角川文庫)で、その他何冊か購入したが、こちらが礼をいいたいほど安価であった。
このなかの「ヴァイキングの祭り」に、その女性がいた。
主人公の牧オリエは、職業教育を受けるつもりで女子美へ入った。仕事先で婚約者、関と知り合った。デザイン・コンクールに入賞して、副賞で北欧へ旅した。オリエは、デザイン(五木さんは文中「ディザイン」と表記している)の仕事を職業として生活してゆけたら、それだけで十分だと思っていた。
「何か自分の内部にある本当のものを、本当の形で表現したい、という情欲のような激しい衝動を覚えたのです。一度でも自分を何かに賭けてみたかった。私はこれまで一度も、そんな賭けをしたことはありません。私の中に何か得体の知れないものが棲んでいる。それを引き出して、自分の眼で確かめてみたい。それには、今しかないという予感があるのです」「このまま帰国すると、この衝動は、きっと旅先の旅情のなせる一時的な自己陶酔にしか思えなくなるに違いありません。それがわかるから帰りたくないのです」と、オリエは婚約者の帰国を促す声も無視して、オスロに留まる。
外国に旅すると経験することだが、たとえば「創作」について、激しく燃焼したくなる。
作家の虫明亜呂無さんは、この本の「解説」のなかでこういう。「日本で生活し、日本で恋愛し、職場に働いているとき、なぜ、ぼくたちには激しい衝撃が見舞ってこないのであろうか」「ぼくたちは戦後のもっとも卑しく、安価で、残酷なものに安心して首までつかって、ひたすら『その日がうまく過ごせればよい』と、色あせた日常をつみかさねているのではないか」
オリエはオスロで、悲しいことに自死を選ぶ。読んでいて、そこまですることはないだろうと考えさせられたが、オリエは「安逸さと無気力さに安住してしまっている日本人」を告発しているようにも思った。このことは、自身にも向けられているように思った。
足袋つぐやノラともならず教師妻 久女
杉田久女(ひさじょ)(1890<明治23>〜1946<昭和21>年/鹿児島市生まれ。お茶の水高女卒。美術教師と結婚。夫婦そろって洗礼を受けクリスチャンとなる。高浜虚子に師事)。
ノラはイプセンの『人形の家』の女主人公。ノラは妻の生活と自我との間に悩み、意を決して家を出て行くが、久女はそれにならう決断もつかず、冷え切った家庭の中で教師の夫と暮らしている。足袋を繕っていると、しみじみと不本意な身の上が思い起こされる。現状打破できない自身に対する嘆きと、良妻賢母教育を受けた明治生まれの家庭婦人の矜持も縫いこめる。
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