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旅エッセイ  ベトナム「マイフレンド」(後編) 

2024年02月16日 ナビトモブログ記事
テーマ:エッセイ

旅エッセイ
ベトナム「マイフレンド」(後編)

夕方、マイフレンドと待ち合わせをして「おじぎ青年」をさがすことにした。

 サイゴン川河畔のレストランは、そうたくさんあるわけではないので、何件目かで見つかった。

レストランにつくと、マイフレンドは客待ちのシクロのところに行って、「取材」をしているようだった。

ややあって戻ってくると「おじぎ青年」はお客を乗せて出て行ってしまったが、しばらく待てば戻ってくるという。当事者のぼくよりもうれしそうであった。

20分ほどたっただろうか、マイフレンドが言ったとおり「おじぎ青年」が戻ってきた。ぼくを見つけると、ニコニコ笑いながらおじぎした。

マイフレンドは、いや、それどころではないんだ、といったジェスチャーで
「おじぎ青年」に「ことのてんまつ」を話しているようだった。
 二台のシクロと三人で「お国自慢の店」へ向かった。店につくと、店の主人はぼくのことをおぼえていてくれたが、サイフは見かけなかったという。

「おじぎ青年」は、無理やりこの店に連れてきたのが悪かったとおじぎをして、じつは店に外国人客を連れてくると、紹介料が入ると白状した。店の主人は、恥ずかしそうに下を向いてしまった。

マイフレンドはしきりに「おじぎ青年」を責めているようだった。

うれしかった。三人三様の素直な「一生懸命」が気持よかった。
マイフレンドと、おじぎ青年に食事に行こうと誘った。
二人はサイフを失くした人にご馳走になるわけにはいかないと固辞したが、観光客が行かないような店を教えてほしいと、強引に乗り込んでシクロを走らせた。

中国系の人が多く住んでいるチョロン地区の中国料理店は、どれをとってもうっとりするほどおいしかった。
おじぎ青年はベトナムのウオッカ、ルアモイ」にレモン汁を振りかけながらよ飲み、箸を上手に使ってよく食べた。
 マイフレンドは仕事を終えた肉体労働者のように、気分よく酔っていた。

ぼくのグラスにルアモイを注ぎながら、「いい色だ」とぼくのグリーンのポロシャツをほめる・
そして、おじぎ青年に聞こえないように、「そのポロシャツをくれないか」とささやく。いや、このポロシャツはとても気に入っているので、たとえホーチミンさんがほしいと言ってもあげないと断った。

それならばというわけではないだろうが、料金は格安にするので、帰る日はシクロで空港まで送らせてほしいという。空港まではクルマで20分ほどだが、シクロは人力の自転車、おそらく一時間はかかるだろう。

「Are you all right?(大丈夫か?)」
「All right(大丈夫だ!)

ホーチミン市と別れる日の朝、マイフレンドは約束通りホテルの前で待っていた。
荷物と一緒に乗り込むと、シクロは、人気の「GTO」のように軽快にスタートした。

「二日酔いじゃあない?」
「一緒に飲んだ彼(「おじぎ青年」)はよく飲んだから、休んでいるって聞いたけど」
「あのルアモイは強いね」
「うん、ウイスキーより強いと思うな」
 シクロから見る空港までの風景は、クルマから見るそれとは、まったくちがったものだった。

男も女も子どもも、老人も若者も、自転車もバイクも、ゆるやかなリズムにのって風を愛でるように、歩くこと、移動すること、それ自体を楽しんでいるようだった。
 マイフレンドは日本に帰ったら、日本のカレンダーをぜひ送ってほしいと、英語で住所氏名を書いたメモをぼくに渡した。やはり疲れたのだろう、スピードは落ちたが、それでも45分ほどで空港入り口に着いた。

「It was all right」(大丈夫だったね)
「Of course it is.」(もちろん)
という挨拶で強く握手してから、軽くハグした。

マイフレンドは、サイフは気の毒だった、ベトナムを悪く思わないでほしい、またぜひ来てほしいと、付け加えた。

ぼくは、グリーンのポロシャツを脱いで、マイフレンドの首にかけ、アンダーシャツのまま、空港のカウンターに向かった。
(了)



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