筆さんぽ

冬の俳句鑑賞 

2024年01月27日 ナビトモブログ記事
テーマ:俳句鑑賞

箸とるときはたとひとりや雪ふり来る

●橋本多佳子(1899<明治32>〜1963<昭和38>年/山口誓子に師事。知的構成と女性らしい情感に満ちた清冽な感覚的叙情を特色とするといわれる)

このとき多佳子は50歳。38歳で夫に死別、子は嫁し、ひとりだったのだろう。食事は、昼餉だろうか、それまで多佳子はひとりであることを意識したことはないが、箸をとったとき、いまさらのように自分がひとりであることを思い知り、しみじみと孤独の思いにとらわれる。おりから降り出した雪が多佳子の孤独感を深める。いや、そうではなく、こうか。

そうだ、私はひとりだったのだ。まだ50歳、人生はこれからだ。雪が降ってきたが、逆境にめげず、ともかくも進もう。


北風に遊びゐる子を抱き去りぬ

●長谷川かな女(1887<明治20>〜1969<昭和44>年/東京日本橋の商家に生まれる。夫の友人にすすめられ作句。「女性特有の平明繊細な抒情を主とし、ときに大胆な発想がみられる」などと評される)

風邪をひきやすい子なのだろうか、友だちと遊んでいた子を、母親がいとおしむように抱きかかえて、立ち去った。これは、かな女の行為ではない。かな女は、それをふと目にした。写生的に描いた。

しかし、淡々と描いているが、何かが残る。「抱き去りぬ」という言い放ちに、子を持つ親の愛情の深さまでも伝わる。残された子どもたちの唖然としたのち、笑顔に戻る表情までもが思い浮かべることができる。

深読みすると、かな女が、北風のなかから「抱き去り」たかったのものは、何かほかにあるのだろうか。



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