筆さんぽ

憂鬱な「ブルーバイト」 

2024年01月20日 ナビトモブログ記事
テーマ:エッセイ

学生が学生らしい生活を送れなくしてしまう「ブラックバイト」が話題になったことがあがある。
ぼくの場合、自業自得であるが、憂鬱な「ブルーなバイト」であった。

はじめてのアルバイトは高校生のころで、年賀状繁忙期の郵便局であった。郵便配達というのは、配達する家を覚えるのではなく、配達ルート(配達の道順)を覚え、あらかじめ道順に並べセットした手紙葉書の束を道順に沿って配達していくのである。

職員はバイクで、アルバイトは赤い自転車であった。
年賀状のときは一回で配達しきれず何回か局に戻って配達したこともあった。
ぼくのルートには、演歌歌手の事務所があって、一回でカバンいっぱいということもあった。しかもそのときは不運にも自転車がパンクして、自転車を引きながら情けない思いをしたのを憶えてる。

そんなときにかぎって、初老の婦人に声をかけられた。
「まちがってポストに入れちゃったのよ、郵便局の人でしょう、なんとかしてよ、ポストの鍵は持っていないの?ダメねぇー」

大学になると実入りのよい運送の助手をやった。大手の運送会社で、社名入の着古した作業着を貸してくれるが、引っ越しの場合、アルバイトは、トラックに乗せてもらえず現場に電車でいくことになる。着古した作業着で下を向いて吊革につかまっていると、肩をたたかれた。「どうしたの?学校辞めたの?カンパしようか?」。

ゼミの知人で、財布を開こうとしたので、怒ったように言ってしまった。「バイトだよ!ほっといてくれ」
そのゼミの知人は、漱石の『坊っちゃん』に出てくるような、色のしろい背のたかい別嬪さんで、ゼミのマドンナであった。
「赤シャツ」になれるチャンスをのがした。

ホワイト・カラー的なバイト、外資系の市場調査会社の調査員もやった。これは、商品と調査表をもって、地方を回って消費者に直接聞き取るアルバイトであった。

地方にはビジネスホテルはなく、はじめてひとりで、ちいさな旅館に泊まった。旅館の夕飯は湯豆腐であった。中央にタレを入れる容器をセットした湯豆腐鍋で、その当時のぼくは、はじめて見た容器だった。使い方がわからず、お豆腐の入った鍋にそのタレを全部入れてしまった。当然味は薄くなり、まずい湯豆腐であった。これはちがうな、使い方を間違ったことがわかり、恥ずかしくなり、食べ終わったあとに洗面台で湯豆腐鍋を洗った。

「あらまあ、お鍋を洗ってくれたんですか、お茶碗はそのままでいいんですよ」
食事を下げに来た中居さんにお礼を言われた。
「旅館では後片付けをしなくていいのですよ」



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