筆さんぽ

古書の書き込み 

2024年01月10日 ナビトモブログ記事
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散歩の途中に、空気が重くなり、ひと雨きそうだったので、なじみの古書店に立ち寄った。

古書の楽しみのひとつに、頁をめくっているときに見つける、書き込みや線引きがある。ふつうは「価値」が下がるのであろうが、ぼくにとっては「未知との遭遇」ほどの感動がある。
買うつもりはなかったが、書棚のヒトラーの『我が闘争』を手にとって頁をめくったら、全頁ことごとくといってよいほど、赤鉛筆で線が引いてあったり、書き込みがしてあった。

興味をもって眼で追ってみると、持ち主は当時おそらく貧しい、鬱々とした青年であったらしく、いたるところに「そうだ!」とか、「そのとおりだ!」などと書き込んである。

ある小説には、栞代わりに黄ばんだ「入場券」がはさんであった。
それは、横浜の三渓園の入場券であった。横浜で生まれたぼくにとって三渓園は、小学校低学年の遠足で行ったところで、小学生の自分に会ったようでうれしくなった。またこの本の持ち主が三渓園にいったと思うと、妙な連帯感が生まれ、その小説が好きになった。

『鮎川信夫詩集』の「死んだ男」の
Mよ、昨日のひややかな青空が
剃刀の刃にいつまでも残っているね
に赤鉛筆で線が引かれていた。
書き込みもあった
「キミを失いたくない」

ぼくが、はじめて戦後詩に出会ったのは、鮎川らが主催した「荒地(あれち)」で、ここでは「いかに生くべきか」という思想ではなくて、「いかに死ぬべきか」という冷笑主義とでもいうべき、乾いた影の思想があった。
この詩集の持ち主は失恋したのであろうか。
ちなみに、鮎川の「死んだ男」というのは、戦争で死んでいた者たちのことである。



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