筆さんぽ

愛は変わる 

2024年01月04日 ナビトモブログ記事
テーマ:短歌

なじみの古書店に立ち寄ったら、
名前だけは知っている女流歌人
河野裕子(かわの ゆうこ 1946年 - 2010年)の
歌集が三冊ほど並んでいた。
店主のMさんに聞くと、とくに意味はないけど、
河野さんは好きな歌人で同郷の熊本出身なので思い出して、
ということであった。
ぼくは、短歌について無知に近いというと、
椅子をすすめられ、Mさんの話を聞いた。

若かった裕子は、永田和宏という青年学者と
同じ短歌結社に所属し、やがて、二人は
惹かれ合うようになり、裕子が、永田に和歌を贈る。

たとへば君がガサッと落葉をすくふように
私をさらって行ってはくれぬ

永田和宏は裕子に、返歌を贈った。

     きみに逢う以前のぼくに遭いたくて
        海へのバスに揺られていたり

「ところが」とMさんは顔をしかめた。
裕子に乳ガンが見つかった。

さうなのか癌だったのかエコー見れば
全摘ならむリンパ節に転移

わたしよりわたしの乳房をかなしみて
かなしみゐる人が二階を歩く

裕子は乳房の摘出手術を受け、
入退院を繰り返すようになった。
このあたりから裕子は、
別人になったように
家族に当たり散らしはじめた。
とくに夫には
「あなたのせいでこうなった」と
殴りかかったこともある。

夫はおそらくこう思ったのだろうと
Mさんは言う。
自分への憎しみからではなく、
むしろ自分への愛と信頼が
形を変えて現れたに過ぎないのだろう。

大きな病を負うとわかるような気がする。
病の自分を憎んでいるのではなく、
「自分を愛しているから」を、
わめきに替えて言っているのであろう

一般論だが、女性は結婚してから、
三つの段階があるといわれる
と何かで読んだことがある。

はじめは一般論として、恋愛ののち結ばれることが多く、
当然、夫の生き方に迎合し、同調する。

やがて、少年少女の反抗期のように、
夫の生き方に対して疑問をもち、
これまでのように素直に従うことなく、
反抗というよりも、反撃するようになる。

そして「熟年離婚」のように、
夫からの自立をめざし、
趣味の世界などに没頭をするようになる。

反抗期のない少年少女のように、
この段階をもたない夫婦が多くいることは、
もちろんである。

河野裕子は、辞世を遺して、
64才で逝った。

  手をのべてあなたとあなたに触れたきに
       息が足りないこの世の息が

これでは悲しすぎるので、
細川ガラシャの、潔い辞世を添えたい。

散りぬべき 時知りてこそ 
世の中の 花も花なれ 人も人なれ

花も人も散りどきを心得てこそ
美しいものよというのであろう。
歌人、河野裕子の死もそう思いたい。



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