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たかが一人、されど一人

責任の所在 

2023年11月12日 外部ブログ記事
テーマ:テーマ無し

 日本には外国では見られない特有の事が多くあるだろうが、その一つに問題解決の仕方があるように思う。責任の所在を不明確にして問題を先送りにしたり棚上げして済ますこと。社会に厄介な問題が発生すれば、責任者は必ず居るが、誰も責任者を探そうとせずに問題だけを論ずることが多いようだ。日経新聞の私の履歴書に元日銀総裁黒田東彦氏が登場しているが、誰がどう考えても現在も始末をつけかねている金融政策の失敗の元凶であることは否定し得ないだろう。先に”外国では見られない”と書いてしまったが、間違っていたら「ごめんなさい」だが、同じようなケースが日本では屡々起きる。失敗は自覚するもので、他人がとやかく言うのは良くないとする大人の考えがあるようだ。特に先週亡くなった細田元衆院議長や安倍元首相のような大者になれば尚更のこと。間違いも死ねば帳消しは感心できない。<アベノミクス>に代表される経済政策の大失敗は、恐ろしいくらいの禍根を日本社会に齎したと思うが、マスコミも含め誰も声高にそれは言わない。国民全員が暗黙のうちに理解して修正を進めようとしている。確かに死ねば皆同じ仏だから、死んだ人の悪口は言わぬのが日本では礼儀かもしれぬ。これは少し変だ。先の大戦で日本人の価値観が大きく変わり、鬼畜米英が神様仏様になった。声は良いとして、開戦の号令を発した責任が軍部だけにあると考えていた人は少ない筈。天皇にも当然責任の一端が及んでも仕方ないだろうが、日本人は皇室に責任が及ばなかったことをある意味喜んで受け止めた。終戦まもなく占領軍が来て、戦争犯罪人を炙り出し、犯罪者を特定、それぞれ収監されたり、公職追放になったりした。これも6年後には、日本の民主化が認められて翌年には日本と敵国であった連合国との間で平和条約が成立して、目出度く自主権が認められた。占領軍が認定した戦争犯罪の殆どがこれでチャラになったとも言える。今から思えば、随分お手軽な民主国家の誕生でもある。このことで、日本人には「少し時間を置けば何とかなる」との考えが定着、問題の先送り習慣がついたのだろう。しかし、この考えは何かが間違っている。責任の所在は後世まで明確でなければいけない。

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