メニュー

最新の記事

一覧を見る>>

テーマ

カレンダー

月別

都わすれの「「ベガルタ応援日記」

昨日は・・ 

2011年11月09日 外部ブログ記事
テーマ:テーマ無し


朝に書いた「晋吾選手」の記事に頂いたコメントに返信しながら、頂いたコメントは私が書いた内容と隔たりがあると感じた 


元々どこの何方か分からない方からのコメントは、基本的に返信しないで削除していたが、今は「コメント公開設定」にしていたから返信した 


またコメントを「承認制」に戻そうかとも思うが・・・


勿論世の中か上を見たらきりはなし、下を見たら勿論私などより大変な暮らしをしている方が、震災後は特に多いだろうと思う  


私も実際は最低水準のような暮らしも経験している 


小学生時代に知床で自宅が全焼し、両親の生まれ故郷(私もだけれど)の仙台に帰った 


全てを失って帰ったものの父が「欝」で働かず、少ない母の稼ぎでは食べられず「生活保護」を受けていたこともあった 


多感な少女時代の屈辱です 


勿論高校進学など夢で(後の通信制高校卒業)丁度「金の卵」ってもてはやされた時代で、中卒で就職以来定年を一年残してリストラ退社するまでフルタイムで働いた 


その間28歳で(お互いに)夫を交通事故で失い、あの宮城県沖地震では自宅が全壊だったが、あの時は一円すら貰えなかった 


僅かに金利が安い金融公庫からの借り入れで、自宅を建て替えローンは一家5人を養いながら退職するまで払い続けた 


その間父親の入退院ががくり返され、休みの日曜日(土休など無かった)に行かないと月曜日には決まって電話がかかった。


そんな父は病に負けて亡くなり母は85歳まで長生きしたが、仕事中に時間を貰って母の病院の送迎が、何年か続いた 


その後「心不全」で二度の入院中は、仕事が終わってから毎日病院に通う日々だったが、着いた時は面会時間が過ぎていて戻ることもあった 

三度目は真夜中に救急車で搬送、4日位は意識があり「毎日来なくて良いよ」って言っていたが、一日だけ行かなかった日に容態が急変し、それから10日は寝ている母の顔だけ見に通う日々だった 


結局は「ICU」を出られないまま息を引き取る 


息子が結婚し娘が嫁ぎ・・母が亡くなり、一人の生活が6年近く続き今は息子夫婦と一緒だから、一番安泰な暮らしかも知れない 


しかし蓄えなど無かった私はベガルタ戦のチケット代だって、色々工夫して捻出している 


行きたくても「チケットが買えない人もいる」って言われても、だからと言って今の私には何もできない 


今季のホーム戦は5試合位しか見ていないし、楽してチケットを買っている訳じゃない 


昨日の夜はブログの更新をする元気さえ伏せちゃって、ありのまま舎に行くついでに20代以来初めて行った「磊々峡」の画像だけ撮り込んで寝ちゃった 


今は私が出来ること・・少しでも現状維持で暮らしたいという思いから、健康に気をつけたりするだけで目一杯の日々である 


私の「波乱万丈伝」を書いたブログがあるが、多分誰も知らないはず・・・


昨日の「磊々峡」ですが紅葉より、若葉の頃が良いのかも・・?

   
   






にほんブログ村

ランキングに参加しています・・よろしくお願いいたします〜♪

>>元の記事・続きはこちら(外部のサイトに移動します)





この記事はナビトモではコメントを受け付けておりません

PR





掲載されている画像

    もっと見る

上部へ