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9.11は母の誕生日 (9/11) 

2023年09月11日 外部ブログ記事
テーマ:テーマ無し

 2001年9月11日(火)の夜は、私はまだまじょ子町に住んでいて、台風15号による大雨が降っていました。9時台のニュースを見ながら、雨の心配をしていると、突然、高いビルに飛行機が突っ込んでいく映像が映し出され、とんでもない事故が起こったと思いました。まさか、意図的に突っ込んでいくなどとは、夢にも思いませんでしたから。 記憶は定かではないのですが、9月11日は一人暮らしをしていた母の70歳誕生日で、すでに認知症の症状が出ていたのが心配で、誕生日を祝いがてら、母の所(車で1時間強かかる)に行ってきたように思います。息子は高3ですでに家を離れていました。 これから雨がひどなるだろう北海道のことなどどうでも良いと言わんばかりに、報道は「同時多発テロ」一色になりました。毎年、9.11のたびに、母の誕生日なんだけどね・・・と、複雑な気分になります。生きていれば、母は今日92歳になります。 蹄鉄屋の要助さん(M16年生まれ)と、子守をさせられて小学校にも行けなかったとくさん(M25年生まれ)が夫婦になって、10人の子供が生まれました。その末っ子が母でした。S6年、とくさん45歳の時のことです。1番上のお姉さんには、すでに子供がいて、年上の姪っ子ってことです。写真の解説は、すべて、そうだと思う程度です。 貧乏人の子だくさんだけれど、仲良しであったかい家庭だったのだろうと感じます。私も子供の頃は、ほとんどが年上のいとこたちとよく遊びました。幸いにというべきでしょう、直接戦争で亡くなった親戚はいませんでした。 裕福ではありませんでしたが、母は女学校を卒業し(今でいう高校2年まで)、免許は無いけれど、代用教員として働き、おそらく天職だったのでしょう。職場で父と出会い、そして私が生まれました。本日のネリ心の短歌春の夜の指をからませ見ゆるのは  月がおぼろに輝き増すを雪解けの土のまにまに咲く花の  名もなき強さ命のかぎり ファーチレの前に、ネイルサロンへ行って、もうサンダルの季節でもないので、足のネイルをとってもらって、角質などの手入れをしてもらいました。足が軽くなって、気持ちも軽くなり、ついでにお財布もねファーチレは、バッハのマニフィカートの最後の曲の、最後の方から始まりました。40小節目からの指示を要約すると「忘れよう 今までの長い道」って感じ。こんな歌ありました。「遥かなもの」。「今までの長い道」ってのは「今までの小さな日々」だったのかもしれない。気づいて良かったののだと思う。

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