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十分にやったか、やっていないか?の判断基準がどこにあるか 

2023年08月17日 外部ブログ記事
テーマ:テーマ無し


十分にやったか、やっていないか?の判断基準がどこにあるか  大学の受験勉強を「やった、やっていない」と話すとき、 たとえばある問題集を何ページ解答したかをチェックすれば どの程度やったか?はすぐに判明します。  1時間で10ページ分を解いた人と、2時間かけて1ページ分を 解いた人がいるとしたら、多くの人はその「成果で判断」します から前者のほうを「やった人」とみなし、後者を「やっていない」 とみなします。  ところが、往々にして後者の人のほうが「自分はこんなに やった!」と言い張る傾向が強く、結局のところ、そこでの 判断基準になっているのは「費やした時間」です。  サラリーマンはこのワナに陥る人が多く、仕事を時間で計って 「オレはこんなに仕事をやった」と主張したがりますが、上から 見れば結果が出ていなければ「やっていない」のと同じです。  ・・・・・・・・・・・ シンプルとイージーという英語はどちらも日本語では「簡単」 と訳せますが、話の前後や基準でニュアンスが異なってきます。  「やった、やってない」も、「何を基準に言っているか」を明確に する必要があります。  やった、やってない議論がある場合、たいてい「やった」と言う 側は単に「時間を使った」と言っていて、「やってない」と言う 側は「時間だけかけて成果につながる動きをやってない」と 言っています。  「何を基準に言っているか?」は大事で、そうしないと話が かみ合わなくなります。「自分の自尊心」が第一優先の人はサラリーマン止まりです。  ビジネスマンは結果を第一優先事項に置き、自分の自尊心は 優先しません。  自分の自尊心はあくまでも主観的であすが、成果・結果は 客観的です。  ビジネス/仕事の世界では客観的のほうを優先する必要が あります。  (十分に)やったか、やっていないか?の判断基準を自分 本位の自尊心に置かず、他人から見ても納得のいく成果・ 結果のほうに置くほうがビジネス社会では生き残っていけ ると思います。   私の著書 2冊+電子書籍11冊お金の教養シリーズ    5冊組織マネジメントシリーズ  4冊ビジネス人生論シリーズ   2冊 (アマゾンの電子書籍)http://www.amazon.co.jp/-/e/B00VUO7NIC      

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