生かされている慶び

夜のネオン街の歴史 

2023年06月25日 ナビトモブログ記事
テーマ:妖魔伝説

今書き下ろしている「妖魔伝説」の小説に登場してもらっている芸妓、男芸者、舞妓、夜鷹、女郎、花魁などが存在していた

夜のネオン街について知る機会があり(都内と銀座に四店舗のナイトクラブのお店を開いていたので)

色んな方のお話や資料を調べて得た、夜の歴史をここにご紹介します。

昔むかし
豊臣秀吉の治世(1584年)に、今の大阪の道頓堀川北岸に、最初の遊廓がつくられました。

その5年後の1589年(天正17年)には、京都・二条柳町の遊廓が秀吉によって作られた。


そして
鎖国の時代(1641年から1853年)に入る少し前の、1639年(寛永16年)には、西洋との唯一の窓口として栄えた、長崎に丸山遊廓が誕生したのです。


その後
江戸幕府開設間もない1617年、日本橋葺屋町(現在の日本橋人形町)に遊廓が許可され、これをのちに「元吉原」と名称した
幕府公認の吉原遊廓が誕生したのです。

「吉原」の語源は遊廓の開拓者・庄司甚内の出身地が東海道の宿場・吉原宿出身であったためという説と、

葦の生い茂る低湿地を開拓して築かれたためという説がある(葦=悪しに通じるのを忌んで、吉とつけた)。



1616年、徳川家康亡きあと
吉原はそのうち五か丁を、駿府から移したのが始まりである(二丁町遊廓)。

大阪と京都の日本初の遊廓は、17世紀前半に、それぞれ新町(新町遊廓)と、朱雀野(島原遊廓)に移転しました。

いずれにせよ
徳川家康の隠居地である、駿府城城下に大御所家康公認の公娼があり、
そこに七カ丁もの広大な面積を誇る遊廓があったのです。


続く



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