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たかが一人、されど一人

時代の変わり目 

2023年05月15日 外部ブログ記事
テーマ:テーマ無し

 日本人はと書きたいが、自分だけのことかも知れぬが、計算が苦手だ。計算を苦手とする日本でも、即ち小生でさえ最近は毎日パソコンのお世話になっている。手先も不器用なので何年経っても操作は覚束ないが、確かに便利でもあることは否定できない。このブログも考えてみれば、原稿用紙で書けば精々2枚か3枚。それでも書いては消しの連続だから半日仕事になりかねない。それをどんなに掛かっても1時間か一時間半あれば100人前後の人に読んでもらえる状況になる。仮に複写機を利用しても、手書きであれば半日では済まないかも知れぬ。しかし、もうこれ以上の利便性は求めまいと半ば決めている。深く考えても仕方ないが、パソコンの理屈は何でも不可思議な計算で出来ているようだ、そしてそれを表現する数式は1と0の組み合わせというからとても思考が追いつかない。唯日本人の発想では生まれてこなかっただろうと思う次第。日本にも昔から計算の達人が居て、毛筆で難しい計算をこなした関孝和さんのような人もいる。彼の扁額が碓氷峠山頂の神社にあって、拝んだことだけは記憶にあるが、残念ながらご利益には与らなかった。一般的に考えると、個人がパソコンを利用するようになったのは1980年代終わり頃のはず。小生も2度目の会社で女子社員からも相手にされず、お茶を淹れてもらえないのは我慢したが、ワープロでの清書をしてもらえなかったので、やむを得ずワープロよりも便利と後輩に勧められて秋葉原の電気店(後輩曰くオウム系列店とのことだった)でWINDOWS95なる黒い扁平な機械を購入して見よう見真似で習ったのが最初。ついでのことで、そのマシンでネット通信も教わり、パソコン通信ニフティの会員登録もしたものだ。今から思うと、丁度日本のネット時代開幕直前、たまたま会社で不遇な状況にあったので、時代の潮流に乗る幸運に恵まれた。本当に偶然は恐ろしい。その後会社を2度も転々として、更にはネット関係で個人起業までして、現在の生活基盤を築けたのだから恐ろしい。もちろん当時は、時代が大きく代わりつつあるなんて自覚は皆無。時代の変わり目なんてものは世間に漂ってる庶民に解かろう筈はない。ひょっとすると今が変わり目かもしれないと思うことがある。ただし、現在は潮流に漂う身ではなくて、傍観者の立場にいる気分が強い。今日どこかで聞いた言葉に在宅勤務とChatGPTがある。最近毎日のように聞くが、小生には両方とも意味がよく理解できない。しかしこれも今後の社会を大きく変えることに繋がるような気がし始めた。多分多くの人が個人的にも関わり、利便性も享受するだろうが、その代わりに何かが失われるかもしれない。

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