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読書日記
『本売る日々』 読書日記196
2023年05月11日
テーマ:読書日記
青山文平『本売る日々』文藝春秋(図書館)
本年の3月6日に出版され、図書館の本を検索したら「購入予定」ということで予約したのが3月23日。借り出せたのが一ヶ月後の4月23日であった。
時は文政5(1822)年。本屋の“私”は月に1回、城下の店から在へ行商に出て、20余りの村の寺や手習所、名主の家を回る。上得意のひとり、小曾根村の名主・惣兵衛は近ごろ孫ほどの年齢の少女を後添えにもらったという。妻に何か見せてやってほしいと言われたので画譜――絵画の教本で、絵画を多数収録している――を披露するが、目を離したすきに2冊の画譜が無くなっていた。間違いなく、彼女が盗み取ったに違いない。当惑する私に、惣兵衛は法外な代金を払って買い取ろうとし、妻への想いを語るが……。
江戸期の富の源泉は農にあり――。江戸期のあらゆる変化は村に根ざしており、変化の担い手は名主を筆頭とした在の人びとである、と考える著者。その変化の担い手たちの生活、人生を、本を行商する本屋を語り部にすることで生き生きと伝える“青山流時代小説”。
内容的には「本売る日々」「鬼に喰われた女」「初めての開版」の三篇で私(松月平助)の思いと語りで話が進む。全体を通じて江戸時代の出版事情や本とその販売についての明確な像が得られる。
「本売る日々」はまあ、背景紹介の様な巻で、後半の妙齢の女性を後添えに貰った惣兵衛と私との対話が中心軸である。
「鬼に喰われた女」は八百比丘尼伝説を基にした怪異譚的な雰囲気を漂わせる。『群書類従』を求める粉屋の正平と私との関わりの中で八百比丘尼(誤って人魚の肉を食べたために十四・五歳の姿のまま八百年を生きたという)伝説が語られ私がこの伝説について聞いた藤助は国学の神髄について「三つの言葉を覚えておくだけでいいんです。『さかしら』『まこと』『すなほ』。これだけです。『さかしら』を排し、噓偽りのない『まこと』の心を失わずに『すなほ』に生きる、です。」(p.83)と語る。話はそれだけではなく、私はかつて遭難しかけた時に、見えないはずの女に会い、その人のもつ糸に導かれて無事に帰れたという話も(読者だけに向けて)語られる。
「初めての開版」は開版…新しく本を出版すること、に大きな意義を感じる私が開版した本は何であったか、という話であり、その背景としての「医」の倫理が語られる。ちなみに江戸時代の医者は現代日本の医者とは異なり、自称だけで開業でき、薬代の値付けもどの患者を診るかも勉強をするもしないも医者の勝手な状況である。そうした中で村医者・佐野淇一と町医者である西島晴順とのわずかな接点から私が『佐野淇一口訣集』を開版する
なお、本書によって、江戸期の本には「物之本」すなわち仏書・儒書・史書・軍記・伝記・医書や、和古典書(純文学)を扱う書物問屋と「草紙屋物」と呼ばれる手軽な娯楽物との2種類に分けられる。普通「本」と言えば前者のみであり、後者は読み捨てであるために、購入して蔵書にするというより貸本屋から借りて読む、ということを改めて知った。
余計なことであるが、かつては物の本を読もうとしていた私は志半ばのままであり、今は草紙屋物しか読んでいないのである。
(2023年4月23日読了)
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