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都下に残る「江戸時代の門」等探索(その2)(2023/4/27) 

2023年04月29日 外部ブログ記事
テーマ:テーマ無し



 先週に引き続き、世田谷・大田区に残る江戸時代の門と序に近くの古刹も探索。東急のバスと電車を乗り継いでの行程。出発は小田急線成城学園前駅、東急バス二子玉川行きで岡本地区へ移動。<<伊木家長屋門>> バス停「やのはし」で下車、急坂を登っていくと右手に「小坂禄地」。国分寺崖線に沿った緑地に残る元衆議院議員別宅を区立公園として開放している場所だが、今回は掲示物など見るのみで通過。少し歩いて左折し低層階の高級マンション建物の間に狭苦しい感じで建っているのが「伊木家の長屋門」。現在はマンションの管理事務所として使われている。この門は、元々岡山市旭川の中州に残っていたのを昭和初期に都内に移築したもので、岡山藩池田家の家老の屋敷門で、左右非対称構造をしている。事務所機能優先のためか、保全は万全の様だが、門前には車が駐車していたりして近付けないのが残念。 この後、バスで二子玉川駅に出、東急線を乗り継いで多摩川線下丸子駅へ移動。<<蓮光院の山門>> 下丸子駅から歩いて10分ぐらいの場所に「蓮光院」。堂々たる門は、岡山藩池田家の支藩の屋敷門の様で、江戸時代後期の建造物の移築。規格的には石高5万石以下の大名家の屋敷門で、数少ない保存例とのこと。このお寺は、境内に人を寄せ付けない感じで、近くで詳細にみることはできなかった。<<光明寺>> 下丸子駅の反対側に、「光明寺」という古刹があるという情報を得たので序に訪れた。行基によって開山、空海によって再興された古刹で、「関東高野山」の異名をもつとのこと。交通量の多い羽田空港に続く幹線道路の傍ではあるが、広い境内で静かなお寺。下丸子駅近くの道路に字の読めない道標が残っていた。帰宅後調べると光明寺の道標だった。 再び来た経路を戻り、二子玉川から東急田園都市線で三軒茶屋駅へ。<<世田谷山観音寺>> この場所も偶然見つけた古刹(?)で、三軒茶駅から日本大学キャンバスの傍を抜けた先に「観音寺」。この寺は、昭和20年代の創建のようで新しいお寺だが、境内にはあちっこちから移築された特徴のある建物や像を見ることが出来た興味深いお寺だった。<<西澄寺の山門>> 観音寺から北へ500m程歩くと「西澄寺」。説明板によれば、この山門は阿波徳島藩蜂須賀家の中屋敷門を移築したもの。構造は、「両番所附石垣出屋根庇(ひさし)造」とのこと。江戸時代大名屋敷の表門は家禄・家格により規制されていたらしく、蜂須賀家25万石に相当する門とのこと。 「蓮光院の山門」(5万石以下の大名屋敷門)、「伊木家の屋敷門」(大名家家老の屋敷門)と比較して、その大きさ・設備・飾り等差が見た目で、その差が理解できていないのは残念。 以上でこの日の探索は終了、三軒茶屋駅から東急世田谷線経由で帰宅。

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