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都下に残る「江戸時代の門」探索(その1)(2023/4/20) 

2023年04月21日 外部ブログ記事
テーマ:テーマ無し



 都内に残る「江戸の門」を訪ねる探索。今回は中心部と北部の5か所へ。<<幸国寺の山門>> 地下鉄大江戸線牛込柳町駅から約150mの場所にあるお寺。一見、ごく普通の寺門に見えるが、説明板によれば、右側に番所があることから江戸時代後期のものと推定された棟門(腕木門)とのこと。一説によれば徳川御三卿(御三家とは別物)田安家の門との説も。説明板がなければ見逃してしまいそう。<<西教寺の表門>> 地下鉄を乗り継いで南北線東大前駅で下車。すぐ裏に「西教寺」。朱色の小振りの門は、元々姫路藩酒井家の腕木門(うでぎもん)とのこと。朱色から、近くの「東大の赤門」に対し得て、”もう一つの赤門”とも呼ばれているようだ。関東大震災の後、瓦葺きから銅版葺きにかえたとのこと。 腕木門とは、支柱に腕木を刺し、その腕木(うでぎ)に桁を乗せてその桁と棟木を垂木で連結させる構造とのこと。<<林光院の表門>> 西教寺近くの根津神社傍を下り、根津から谷中を抜けて上野公園に。途中、上野国立博物館で、因州(現在の鳥取県)池田藩の屋敷門を横目に見ながら、次の目的地である林光院に急いだ。林光院は上野寛永寺の子院で、表門は、徳島藩蜂須賀家の中屋敷御庭仕切り門(唐門)とのこと。<<山脇学園志の門>> 林光院からJR鶯谷駅・東京駅経由で地下鉄丸ノ内線赤坂見附駅へ移動。旧大山道の一部である”牛鳴坂”を登ると、厳重に庭木、フェンスに囲まれた向こうに黒塗りの大きな屋敷門。岡崎藩本田家の表門で、創建当時は横幅約120mの非常に大きな長屋門だったが、周辺が削られ、門と左右の番所のみが残されたとのこと。建物自体は、都内屈指と思われるが、周囲を厳重に囲まれているので近付くことが出来なかったのは残念。尚、「長屋門」とは、扉口の両側に家臣や使用人の部屋が設けられたもので、豪商・豪農の門にもよく見られる。<<相原家の薬医門>> 赤坂見附から、地下鉄丸ノ内線・大江戸線と乗り継いで練馬区の光が丘駅へ移動。約700m程歩くと、相原家の薬医門。相原家は、代々この付近一帯の組頭を務め、奥州盛岡の大名の南部家とゆかりのある豪農で、この門は通称「南部の赤門」と呼ばれるとのこと。切妻破風造り・茅葺きの手入れの行き届いた門。「薬医門」とは、本柱が中心からずれている構造。 以上で、この日の門シリーズは終了したが、次次回以降訪れようと思っている「富士塚」が近くにあるので、「江古田の富士塚」(西武池袋線江古田駅前の浅間神社)を訪れて、この日の探索は終了。次回は、世田谷区・大田区に残る「江戸の門」を訪問予定。

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