気まぐれりんちゃん

母は幸せだったのかも?母の思い出、母の想い。 

2023年03月16日 ナビトモブログ記事
テーマ:テーマ無し

春は今は亡き母の誕生日がある。
最近ふと思ったことがある。。。

まだ若かった母と幼かった私の話、
近所に公園ができました。その頃はまだ公園で遊ぶ子供が多く
当時まだ入学前だった私は大きな小学生たちが怖くて
なかなか公園に行けず
遠くから赤や黄色、青の鮮やかな遊具を眺めたり
子どもたちのはしゃぐ声を聞いてうらやましく思う日々、、。
ある日今にも雨が降りそうな昼下がり
誰もいない公園に母を誘って行った時。。。
私は嬉しくて、嬉しくて、待望の砂遊びを楽しんで…
母にも一緒にやろうよ!というと 
「え? 汚れるからイヤよ。 もういいでしょ、、帰ろ」とバッサリ言われて
楽しい気分が一瞬にして冷めたのを覚えています。
私は そっか〜、、ま、いっか…とモヤモヤしながら帰路に。

小学校に上がって授業で星座観察の宿題が出た時
夜なので必ず家族と一緒に観測してください。
と先生に言われ 母に同行をお願いした時のこと…
私は夜空の星座を見るのが好きで楽しみにしていたのですが
「あー!寒い寒い!!こんなところおられん!早く帰ろう!」と
何度も言われてバタバタと帰宅させられました。
そっか〜、、ま、いっか… です。

そっか〜、ま、いっか… と、ならなかったのは
家族で水族館に行った時のこと。(正確には連れていかれた)
その水族館は隣に遊園地が併設されていて
面白そうな遊具がチラチラ見えて子供たちのはしゃぐ声が水族館まで
響いていました。
もちろん、幼い私は暗い水槽の魚を見るよりそちらの
遊園地に魅力を感じていましたが 母にそれを言っても
理解してくれないのはわかっていたし、ここは我慢だ。と
自分に必死で言い聞かせていました。
が、そう思おうとすればするほど 涙が出て止まらないのです。
ヤバい!見つかったらヤバイ!!そう思っていたけど
私の異変はすぐにバレてしまい 
母から「なに? どうしたの? 言いなさい!なんなの??」と責められ
つい、本音がポロリ ・・・遊園地、行きたい。 と言ってしまいました。
そこからはもう地獄です「そうなの?泣くほど行きたいの?それなら行けばいい、
連れて行ってあげるから遊園地で遊べばいい」と連れていかれ
「何がしたいの? どれに乗りたいの?」と 明らかに不機嫌顔で言われ
遊具に乗った私に「それの どこが楽しいの?」と言う。
もうね、 そんな状況で遊園地に行っても私ぜんっぜん楽しくないですよ。
こうなるの わかってましたしね。
そっか〜、まいっか。 ではなく
ですよね〜、もういいです。 の気分。
今の私がその場にいたら自分を抱きしめてあげたいですけどね。

自分が母親になった今 カワイイ娘を見るたび
当時の母の気持ちがわからなくて
母の母性には疑問しかない日々だったのですが・・・

子育てするときって 自分が親にされてイヤだったりツラかったことは
なるべく わが子には体験させないようにしますよね?
私は自分の気持ちに寄り添ってもらえないのがツラかったので
娘の気持ちにはなるべく寄り添うようにしてきました。
たとえ自分が寒くても、娘が楽しそうなら寒くない!と。
本当はもう帰りたくても、娘がまだ居たいなら笑って延長!

でも それ、たまに、 キツイ。 しんどい。 かなりムリ。
でも・・・・・ま、いっか。とガマン。

え?ここでふと思ったんです。
私の母って、言いたいこと言って、したいことして、
物事は自分中心に考えて 自分の娘にゃ気遣いも遠慮もなかったんじゃ?
それって、ある意味幸せだよね。
言いたい放題言える相手・・・私いないもん。
言いたいことがあっても 抑えてるうちにどうでもよくなって…
どうでもよくなることでしか自分を守れない
そんな人生だから 夜中にうなされたり 大声出したりしてるのかな?

うわあああ・・・

あ、すみません書いてて動揺してしまいました。
今回は ちょっと変わり者の母を悲しい気持ちで
思い返していましたが
彼女の人生 あれはあれで幸せだったんだな。とわかって
なかなか そうはいかない自分と比べて
ちょっとうらやましく思っています。



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