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バケツに血や涙を溜めて流す 「遠野なぎこ」の過去 

2023年03月06日 外部ブログ記事
テーマ:テーマ無し


「遠野なぎこ」は、6歳で子役として芸能界デビューし、1999年のNHK朝ドラ「すずらん」でヒロインを演じた女優。でも「遠野なぎこ」と聞くと、ぼくは強烈に印象が残っている本を思い出す。彼女が書いたのか、ゴーストライターが書いたのかはともかくとして本の内容がすごかった。それは延々と続く、遠野なぎこと母親との闘いのような日々。本のタイトルが本の中身を直球に表現していて、「一度も愛してくれなかった母へ、一度も愛せなかった男たちへ」という。でも、現在は苦しめられた母親も既に亡くなっていないわけだ。それに、「一度も愛せなかった」と、当時は思っていたのかもしれないが、3度目の結婚だから”男を愛せるようになった”もしくは”改善された”とみていいのか、それともあまり恋愛感情はないけれど寂しさから傍にいたほうがいいという薄い望みからの結婚なのか。● 3回目の結婚ともなると…3月5日に遠野なぎこは自身のインスタグラムを更新。「このワンピース初めて着てみたよー!!可愛いっ。丈も長くてお気に入り!!」とうれしそうに自撮りで、左手薬指にはゴールドのリングが光っているとのこと。本人は今回の結婚についてブログにこのように語っている。「少し年上の一般男性と本日結婚致しました」と報告。1度目の結婚が72日、2度目が55日でそれぞれ結婚生活が終わっている。「3回目の結婚ともなると…しかも、超スピード婚ともなると、世間からどのような目で見られるか自分でもよく分かっているつもりです。しかし、人には人それぞれの事情がある訳で。私は私で、もう立派なオトナな訳で。どんな結果が出ようと責任は自分で取るだけです」と思いを明かしている。その記事だけ見ると、過去のトラウマからはやや脱却できたのか、と思ってしまう。でも、彼女の体験を文春が記事にしていてそれを読むと、まだまだ彼女の想い出に当時の嫌な記憶が深く根付いていることがわかるし、決して消えることはないのであろう。また昔読んだ、彼女の壮絶な体験を描いた本の想い出がよみがえってくる。● 「女」として対抗意識を燃やして文春オンラインの記事のインタビューで「生まれ育った家庭で虐待や育児放棄があった、と以前に告白されていましたが……。」と、聞かれこんな告白をしている。『母は18歳のときに妊娠し、19歳で私を産みました。女優志望だったと言いますから、母にとって私は、彼女の人生や夢を壊した“邪魔者”だったのかもしれません。結局、一度も愛情を与えてくれることはありませんでした。母と父は何かにつけ、まだ幼い私を殴ったり精神的に追い詰めるようなことを繰り返していました。髪の毛を掴まれて壁に叩きつけられたり、体を引きずり回されたり。殴られた後には、決まっていつも、青いバケツが私に向かって投げられるんです。鼻血が止まらなくなって、毎回ティッシュを1箱使うので「もったいない」と言われて。だからバケツに鼻血や涙を溜めて、止まったらそれを流すんです。』また、「お母様とはずっと、どういった関係性だったのですか。」という質問にはこのような答え。『母は私に対して、娘というより「女」として対抗意識を燃やしているような部分もあったと思います。だからなのか、私が弱れば弱るほど喜ぶ、みたいな感じでした。例えば、私が自分を否定したり、自虐的なことを言うと喜ぶんですよ。演技がうまくいかなかったとか、自分の体型のことを言ったりすると。だから私は、いつまでも自信を持てないままここまで来てしまいました。でもそんな母であっても、誰よりも、一番に私を認めてほしかったんです。だって仕事もきょうだいの世話も全部、母のためにやっていたようなものでしたから。』あまりに複雑な親子関係で、悲惨で言葉がなくなってしまう。ある程度、読んだ段階で不幸せの連打を感じてしまいお腹一杯になってしまう。まあそれはともかくとして、遠野なぎこの今回の結婚が、過去2回の結婚と違い”新しい幸せ”をみつけて長続きすることを影ながら願うしかない。参照:再々婚の遠野なぎこ、さり気なく左手薬指に指輪キラリ!43歳の私服姿「可愛いっ」   遠野なぎこ(43) 虐待で絶縁した母親の自死を告白「3人目の旦那がガンで亡くなった次の日…」 

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