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たかが一人、されど一人

ただ懐かしさだけ 

2023年02月18日 外部ブログ記事
テーマ:テーマ無し

 今週は毎晩のようにフランスアルプスのなんとか言う地方で行われたアルペンスキー世界選手権大会テレビ中継をよく観てしまった。おかげで9時就寝予定が大分遅くなったリ、湯冷めをしてしまった日もある。幼い頃は地球の温暖化が進んでいなかったこともあるのだろうが、育った長野市内でも雪がよく降り、冬には子どもたちが挙げて雪遊びをしたものだ。遊びは中学を卒業する頃にはやめるものだが、こちらは勉強より遊びが大事で、大学に入ってからもスキーから離れることが出来なかった。但し、就職して10年間はピタリと止めて11年後にまた始めた。笑と言っても競技スキーに出るほど技術は上達しなかった。中学生になった頃だったか、イタリアで開催された冬のオリンピックで日本の猪谷千春選手が銀メダルを受賞をしたことは鮮明に気負っくしている。当時彼のご両親が志賀高原に住まいを構えていて、冬になると今の上皇様、当時の皇太子殿下が毎年のように志賀公園に来られて、選手の父に当たる猪谷六合雄氏が特別指導をされていた。その影響は今でも皇室に残されているようだ。その後しばらくして当時のチャンピオンだったオーストリアのトニーザイラー氏が来日して志賀高原を訪れた。兎に角スキーに関しては数多くの思い出があるので、テレビを観始めるとなかなか離れるのが難しい。スピードを競うスポーツは沢山あるが、スキーは自然の中で板切れ2本に身体を預け山から谷をめがけて駆け下る危険なもの。現代では競技も様々になってるので詳しくは知らぬが、最高の滑降種目では、標高差が約800メートルで全長が約2キロのコースを1分台で滑り降りると思うので、時速120キロ近いスピードについていく必要がある。ここに上げた数字がいい加減かもしれぬが、少なくとも1分そこそこの時間、時速100キロ前後のスピードを競っているはずだ。今はスキーをする人は殆どヘルメットを被ってるし、選手は着用が義務付けられている筈。それでも転べば大怪我は間違いないので、大会主催者はドクターヘリを待機させているに違いない。当時では考えられなかった超高速競技になっていても、選手たちの身体の使い方を見てると原則的ななことは昔と同じ。自分が滑っていた時代には時速換算で瞬間的に30キロか40キロ出せれば最高だったと思うので、その格差は大きいが、ただ懐かしさがこみ上げてきてしまうのだ。

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