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神奈川歴史散策 寒川と茅ヶ崎東部(2022/11/10) 

2022年11月12日 外部ブログ記事
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 JR相模線寒川駅から散策を開始。寒川駅では目立たぬ程度に”梶原景時の街”を標榜する小さな看板が目についた。 <<梶原景時館跡>> 駅から南西方向に約1q歩くと、小さな神社の”一之宮天満宮”、ここが梶原景時の館跡。狭い境内に小さな祠の神社には、カラフルな遊具、近隣の子供たちの遊び場。神社前を走る大山街道沿いの梶原景時の歴史理解に有効と思われる大きな掲示板の裏手に、”梶原一族郎党(七士)の墓”。墓近くの水路は館の内堀の名残とのこと。<<西片貝塚跡>> 相模湾から約5q離れた相模野台地南西端にあるのが西片貝塚跡。縄文時代前期(6〜7千年前)には、この辺りまで海が迫っていたとのことで、縄文土器・石器等も出土とのこと。説明板の前の道路は、この後訪れる淨見寺が大岡越前家の菩提寺であることから”大岡越前通り”と名付けられているようだ。<<淨見寺>> 裏口から参内、そのために綺麗な石庭を見ることが出来た。こじんまりとした境内だが墓地を含めた裏山も含めると相当広そう。17世紀初頭、大岡家二代目が柴田勝家の次男を開山として建立したとのこと。本堂前の石段を上がった上が大岡家歴代の墓地。江戸町奉行として有名な越前守忠相は大岡家5代目。<<民俗資料館>> 淨見寺山門横に民族資料館、茅ヶ崎市内に残る和田家古民家と下寺尾官衙及及び寺院遺跡跡(2020年2月訪問済み、西片貝塚の傍)の礎石の野外展示。和田家古民家は江戸時代末期に建てられたもので、和田家は村役人を務めた家柄。手入れの行き届いた古民家で今でも使えそうな感じ。礎石は、下寺尾に存在した寺院の礎石の一部で、1300年前創建で国分寺国分尼寺より古く七堂伽藍を有する大きな寺院だったとのこと。<<十二天古墳群・堤貝塚跡>> 淨見寺より約2qの丘の上にある貝塚と古墳群。古墳は鬱蒼とした山林の中にあるようだが、近寄る入口が見つからず山林を眺めるのみ。古墳は全長30mの前方後円墳と直径20mの円墳の古墳時代後期作とのこと。貝塚等を含む古代人の住居跡や古墳は眺めの良いところにあることが多く、この場所からも雄大な富士山が望めた。 この後、近くの堤坂バス停からJR茅ヶ崎駅に移動し帰途。この日の総歩数15,000歩。

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