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たかが一人、されど一人

記憶 

2022年09月16日 外部ブログ記事
テーマ:テーマ無し

 NHK・BSPで13時から放送される古い映画を時々見るが、記憶のいい加減さにびっくりしてしまう。若い頃感激して観た映画の内容を殆ど記憶していないことだ。考えてみれば当たり前で、昨日の夕食のおかずすら満足に記憶できないのだから当然かも知れぬ。人間は記憶をどのように選別して保存する仕掛けになってるか分からないが、この選別の仕掛けが解明されると面白いと思う。世に「記憶力」なる言葉がある。パソコンにもDRAMとか記憶容量なんて言葉があるが、こちらは正確な知識は無くても何となくイメージが湧くが、人間様の記憶力は果たして何を指すのだろうか?何れにせよ自慢にはならぬが、どうもその力が大分弱いのではと思う。若い頃の勉強には不向きだったかもしれぬが、今になるとストレスが少ないようで、逆に都合良いかもしれない。因みに、未だに記憶に残る鮮明なシーンは数少ないが、一番若い頃のものは3歳か4歳頃からある。古いモノ黒写真のようだが、弟の誕生で入院している母のもとを訪れて、母の手を握ってるシーン。数日後お産の手伝いで熊本に来ていた祖母に連れられて長野に行くため、家を離れるとき玄関先で大泣きしている自分。ここまで書いてくると、長野駅に到着して人力車に乗せられて喜んでいる自分、傍で微笑んでいる祖母の顔。膝に掛けられた赤毛っとがカラー化しているから不意義だ。ここからは古い写真帳をめくるようにポツンポツンと静止画が蘇るが、連続性は無い。忘れっぽい性格であるくせに、小学校時代には夏休みの日記で苦労した。1ヶ月位の日記を1日やそこらで思い出せず、もちろん書くことが出来なかった。毎日2行か3行同じ文句を並べて提出し、その度に怒られていたように記憶はしていないが、多分そうだったと思う。そのせいもあって、社会に出てからは業務日誌だけは几帳面に書く習慣ができた。その記録を全部とってあれば大したものだろうが、会社を変わるたび大部分を破棄しているのが残念だ。今続けているブログ書きもその名残のようなものである。「ヤマレコ」なるサイトに山行きの記録を残しているのも同じ理屈だろう。近代は記憶に頼らずとも、自動的に記録されているデータが多いので、悪いことをする人間にとっては不都合であることも知るべきだろう。

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