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《安倍元首相銃撃》山上徹也、母の宗教依存への葛藤と苦悩 

2022年07月17日 外部ブログ記事
テーマ:テーマ無し


 参院選投開票日を二日後に控えた2022年7月8日に、安倍晋三元首相(67)は、奈良県の近鉄大和西大寺駅前で 参議院選挙の自民党候補の佐藤啓(43)参議院議員の応援演説中だった。その安倍元首相を襲撃したのが山上徹也(やまかみ・てつや)という41歳の男。彼は殺人未遂の容疑で逮捕され、その後、殺人容疑で再逮捕された。この銃撃事件に関して、警備がどうのこうの意見を戦わせているTVニュースや記事も多く見受けられるが、ぼくの興味はそこには全くなくて、あるのは山上徹也が安倍氏を殺害するまでにも至った、事件の背景にある統一教会に壊された家族の実態だ。「母親が統一教会にのめり込んで多額の寄付をし、強い恨みがあった。団体と安倍氏が、つながっていると思ったから狙った」山上徹也は、警察の取り調べに対しこう供述したという。当初から警察発表でその宗教団体名は伏せられ、大手マスメディアも「特定の宗教団体」と報じてきた。これには違和感が大きくて、なぜその名を伏せるのかがぼくにはわからなかった。旧統一教会が記者会見を開いてから 『これで統一教会に文句を言われるリスクはなくなった』 と判断したようで、一斉に統一教会と書き始めた。マスコミも周りの顔色を窺い過ぎの気がする。元首相が襲撃され死亡したというのに、その大きな原因となった宗教名を意図的に隠す姿勢は、あまりに軟弱すぎて呆れて笑ってしまった。安倍氏が応援していた佐藤啓さんは、奈良選挙区(改選定数1)では、再選を果たした。事件翌日、現場に設けられた献花台を訪れ、「暴力にひるまず、断固たる決意で選挙活動を行っていく」と誓い、戦い抜いた。ところで、安倍氏の葬儀の様子や献花台に訪れ涙ぐんで遺影に手を合わせている人達を見ていると、『そんなに安倍氏は国民に人気があったのか?』と、改めて不思議な気持ちになる。今回は、山上徹也の生い立ちや家族の情報や安倍晋三元首相を殺害した動機の統一教会に関して、週刊文春(2022年7月21日号)に掲載された記事を抜粋しながらまとめていきます。安倍氏と統一教会がいったいどこまで結びつきがあったのか、ということはまた別の機会にブログにアップしたいと思ってます。● 山上徹也、4歳の時の父の自殺と朝起会山上徹也(41)が生まれたのは1980年。兄がいて、数年後には妹が生まれた。父は京都大学工学部を卒業し、民間企業で働く土質の技術士。母は同市内で建設会社を営む裕福な家庭で育ち、大阪市立大学生活学部を卒業した才媛だった。父は社長の娘であった母と入籍した。当時、居を構えていたのは東大阪市内の木造の一軒家。当時の近隣住民によると、頻繁に父が母を怒鳴りつける声がする異様な家だったという。「実はお母さんが『朝起(あさおき)会』という宗教にはまっていたんです。子育てをほっぽらかしに涙していて、朝の5時とかに出かけてしまうんです。当時、2歳か3歳かの男の子が冬も裸足で家の外に出てきて、泣きながら母親を探してるんですわ。ご主人もなんもせんとね。おしっこやうんちで重くなったおむつをはいているから、半ケツ状態でかわいそうでした」(一家を知る知人)朝起会とは、戦後まもなく設立された実践倫理宏正会(じっせんりんりこうせいかい)のことで、朝起会と呼ばれる早朝の活動をメインに会員数は400万人を超えるといわれる。「生活倫理を実践する社団法人ということになっており、宗教団体であることを否定しています。しかし、事実上の宗教ではないかと指摘する声もある」(宗教事情に詳しい記者)朝起会は、毎朝5時〜6時に、全国の朝起会場で一斉に行われ、参加者全員で「朝の誓」を唱和するという。5項目ある朝の誓を、1日1日の基本的心構えとして、過ごす。実践倫理宏正会は、宗教団体ではなく、社会教育団体であり、誰もがしあわせに暮らせる社会の実現を目指していて、1人1人に備わった”倫理”に基づき、よりいい暮らしへとするのが目的とのこと。しかし、会員自らが会報を何十冊も購入したり、個人宅に訪問して勧誘するなど、勧誘活動に対して疑問の声もあり、宗教団体ではないかと指摘する人も少なくない。山上が4歳を迎えた84年12月、父が突然の自殺を遂げた。叔父が、弟を失い悲嘆に暮れた当時を振り返る「トンネルの事故で・・・・・・とか、急死した、と周囲に説明したこともありましたが、実は自殺なんです。その直前の一、二年は、ずっとトンネルを掘るために山の中で生活するハードな日々でした。鬱とアルコ―ル(中毒)の混ざったような状況やったな。自殺直後に警察署の事情聴衆に私とA子(山上の母親)が行ったとき、お腹が大きい彼女が寒そうだったので、私の背広を被せてやったのを今でもよく覚えています。徹也の妹が誕生したのは、私の弟の自死から二カ月後の85年2月のことでした」実践倫理宏正会の東京本部の担当者は、「(母親の)会への在籍は過去を含め、一切なく、朝起会に参加したこともございません」と否定するが、知人は団体への傾倒が引き起こした悲劇についてこう語る。「奥さんが相当宗教に入れ込んでしまったみたいで、旦那さんはノイローゼやったようです。最後は近くのマンションから飛び降りて自殺しはってね、それは近隣で話題になりましたわ。それから1年と経たず、一家は引っ越していかれました」● 「夫の自殺、実母の死、病気の長男」救いを宗教に大黒柱である父親を失った一家四人はその後、親族の支えで生活を立て直していく。同年4月、叔父はA子さんを不憫に思い、毎月五万円程度の資金援助を約束した。学生時代の山上徹也の知人たちはこのように語る。「山上くんは小学校の時、よく遊びましたよ。近所でかくれんぼをしたり、公園でキックベースをしたり、コインランドリーに置いてある少年ジャンプを一緒に読みに行ったこともありましたね。家にもお邪魔したことがあって、一緒にファミコンでマリオをやりました。お母さんも感じの良い優しい方で、遊びに行くと麦茶を出してくれたのを覚えています。おとなしい子でしたが、こんな事件を起こすような人物には見えませんでした」(小学生時代の友人)母は夫の死の悲しみを紛らわせるためか、ある宗教団体に入信した。これが統一教会だった。祖父も亡くなって実家を出ると、宗教にのめり込んでいった。伯父は、94年8月に約9年間にわたりA子さんに援助してきた生活費が統一教会に流れていた事実を知った。「彼女が統一教会にハマったきっかけは二つあったと思います。第一に夫の自殺。実はその自殺の三年前の81年9月にA子は実母を亡くしているんですわ。二つの死を乗り越えるため、救いを求めたのでしょう。徹也は、そんなA子と統一教会を心から嫌悪していったんや」(叔父)7月11日、都内で会見した世界平和統一家庭連合の田中富広会長は、A子さんが入信した時期について98年頃だと述べた。だが、A子さんの別の親族に確認すると「教団と関わりを持ったのは夫が自殺(84年)して間もなくのこと」だという。伯父が言葉を続ける。「A子は私の弟、つまり徹也の父が亡くなった後、生命保険金の五千万円を二千万円と三千万円に分け、それぞれ一括で統一教会に寄付していました。また、先祖の霊を慰める『先祖解怨式』に複数回参加していた。一回70万円、四回やって280万円ですよ」山上家を襲ったのは、長男の身に降りかかった病だった。「実は、徹也の一つ上の兄は小児がんを患っていて、小学生の頃、頭蓋骨を開く大手術をやったんです。抗がん治療もしたのですが、その際に、片目が見えなくなってしまった。長男は運動神経が良く、野球をやらせると、サウスポーでいい球を投げていたんですよ。でも手術後、A子が『万が一、もう一つの目にボールが当たって見えなくなったら困るからやめてくれ』と言って野球をやらせないようにしたんです」(叔父)A子さんは、病気の長男の救いも、宗教に求めた。伯父が忌まわし気に回顧する。「金の無心は嫌というほど味わいました。二日に渡って『金を貸してくれ』と来るもんだから、『帰れ!』と言うて、お茶ぶっかけたこともありますわ。そこまでしても、その後も私の弁護士事務所まで来たり、韓国からも電話をかけてきた。統一教会のことになると、まるで目の色が変わってしまうんです」98年8月、A子さんは実夫が購入した東大阪市の土地を勝手に売却。それにより父娘関係に亀裂が生じた。彼女は実父が興した建設会社の代表取締役に就任すると、相続した一軒家など複数の所有物を99年3月に売却したのだ。「自宅の売却金で二千万円、建設会社の事務所の売却金で二千万円。それぞれA子は一括で統一教会に寄付してしまった。さらに(実父)が所有していたゴルフの会員権や、夫の生命保険(前述の五千万円)などを含め、私の知る限りで一億円以上を統一教会に注ぎ込んでしまった」(叔父)● 徹也さんが自殺を図りました山上徹也のあだ名は小学校時代から「こてつ」。中学に進むとバスケットボール部に所属し、活発な学生時代を過ごし、奈良屈指の名門進学高校に進学する彼の高校時代の知人も、学生生活を謳歌する姿を思い、驚きの声を隠せない。「私は山上くんよりも1年先輩でしたが、先生が山上くんのことを『「団長」と呼ばれているすごく良い子がいる』と授業中に紹介していたことを覚えています。彼は応援団に所属していたんです。山上くんは背が低く小柄で『デコボコな身長差のなかで他のメンバーに負けずに頑張っているな』という印象が残っています。山上くんはきびきびと動いていたので、さすが伝統校だなと誇りに思いました。自衛隊員だったという過去はしっくりときましたね。 うちの野球部は1998年の春の選抜に出場し、“平成の怪物”松坂大輔さんを擁する横浜高校と対戦しました。公高校でありながら全国でも勝ち進んだのは快挙で、学内の生徒は皆喜んでいました。結果は完敗でしたが、山上くんもあの場で精いっぱい声を張り上げ応援していたでしょうし、当時の野球部員は全員彼のことを覚えていると思います。青春時代を共に過ごした人間として、記憶に残っています」郡山高校を卒業した山上は、母を見切り、伯父を頼つた。親子関係はすでに修復不可能になっていた。「(一部で報じられている)同志社大学中退、というのはガセですわ。あの子は、お金がなくて大学に行けなかったんや。高校卒業後、夢やった消防士になるための試験を何回か受けているんですよ。ところが、強度の近眼で不合格。『公務員試験合格のための専門学校に行きたい』と。私は98年ごろから『生活が苦しい』というので毎月の生活費の援助を再開させていましたが、徹也が専門に通うという時には、それとは別に75万円の資金援助をしました」(伯父)としてその後山上は、専門学校に通っていたが、やがて中退。02年8月、任期制自衛官(一任期=三年)として、海上自衛隊の佐世保教育隊に入隊する。四ヵ月後、呉海上自衛隊基地で実習舞台に配属。一年以上、実習部隊で経験を積んだ。「入隊後、彼は船の実習部隊で上司とトラブルになり、上の学校に進めなかったのです。そして、最後の頃は広島県江田市の第一術科学校に、学生ではなく職員として在籍、総務課文書係という窓際部署で過ごした。外部」から来る手紙にうち、判子を押して配るだけの雑務。学校に進めない落第生は100人のうち一、二人です」(海自関係者)05年2月14日。けたたましく電話が鳴った。相手は「呉海上自衛隊」を名乗った。「山上徹也さんが自殺を図りました」当時、山上が身を寄せていたのは呉市内にある自衛官専用の下宿だった。築48年(当時)の木造住宅。風呂、トイレ、キッチンは共同で家賃は1万円。その日、九部屋のうちの一室に籠った山上はベンジン50ミリリットルとアルコールを飲みほした。だが、混沌とする意識の中で自ら救急車を呼び、一命を取り留める。当時、山上は調査に対し、次のように答えている。「母親は統一教会に熱中するあまり家庭を顧みず、お金をつぎ込む毎日でアルバイトも解雇されてしまった。特殊な家庭環境に置かれる中で小学生時代から漠然とした自殺念慮があった」自殺未遂当日、呉共済病院に搬送された山上は応急処置を施された後、呉市内の別の病院で入院生活を送ることになった。病院からの連絡を受け、翌日駆けつけたのは上司の他、伯父と山上の兄。そこに母の姿はなかった。「何度か彼の母親に電話しましたが、当時彼女は韓国に行っており、繋がらなかった。ようやく連絡が取れたため、入院の許可を取り、早期帰国を促したのですが、彼女はそれに応じなかった。山上も、『母親には会いたくもない』と言ったのです」(海自関係者)A子さんがようやく病院を訪れたのは、自殺未遂から半月が経った二月末のこと。話し合いの結果、伊丹市内にある陸上自衛隊の関連病院に転院が決まった。● 取り戻した解決金がまた統一教会へある信用調査会社によると、1996年度まで黒字が続いていた会社はA子さんが社長を引き継ぐ前年の1997年度には4000万円を超える負債を抱え、その後銀行からの融資も認められなくなった。2002年にはA子さんが自己破産。2009年から2017年までは、統一教会側も連絡が取りづらい状態が続いたという。A子さんはわずか10余年で父の遺産もすべて使い果たした。実は会社の解散と時を同じくして、見るに見かねた弁護士の伯父が統一教会に対し、行動を起こしている。「私はA子が統一教会に注ぎ込んだ金を取り戻そうと、『献金の内容を出せ』という書面をFAXで教団に送り続けました。当時、私はÅ子が自己破産しているのを知らなかったので、教会に対しては破産の有無についても開示するように求めたのです。すると協会はいずれの質問にも回答を避け。『五千万円の解決金を支払います』と言ってきた。でもそれを私が預かるわけにはいかない。取り戻した解決金は、A子から、結局また(統一教会に)行ってしまったんです」さらなる不幸が襲ったのは15年11月のこと。大病で片目の視力を失っていた当時三十代半ばの長男が、将来を悲観し自死を遂げた。「兄貴、なんで死んだんや・・・・・・。生きてたら、ええことあんのに!」それは自らも自死を試み、そこから少しづつ前に向かって歩もうとしていた山上の、やり場のない咆哮だった。山上は2020年秋から今年5月までは派遣社員として京都府内のプラスチック製品会社の倉庫で働いていたという。逮捕時まで住んでいたマンションの隣室の男性は、山上の印象をこう振り返る。「この1年で山上容疑者を見たのは5回ぐらい。彼が朝6時頃、出勤時にエレベーターで乗り合わせた時ぐらいです。私服は地味で、私が挨拶しても俯いたり、目をそらす愛想のない人でした」直近の勤務先である京都府の工場責任者が山上の“異変”について明かす。「もともとフォークリフトの資格者の求人をしたところ、派遣会社から派遣されてきたのが山上容疑者です。敬語が使えて社会人として良識のある人という印象で、会社で働き始めた当初は遅刻や無断欠席、トラブルなどを起こすタイプではありませんでした。口数は少なく、昼食も自家用車のなかで1人で食べていましたが、仕事には真面目でした。しかし、約半年後の2021年4月に指示通りの手順で仕事をしなくなり、上司が指導したことがありました。2021年10月にも再び手順を守らなかったため、上司が叱責すると『なんでこんなやり方をしなければいけないのか』と反論。2022年1月には出入り業者のトラックへ荷物を積み込む際、『このやり方でも崩れない』と緩衝材を挟む作業を勝手に省くなどまた指示を無視し、トラック運転手と口論になっています」2020年9月、山上は一本の動画に目を奪われた。統一教会の始祖である文鮮明氏と妻が設立した関連団体「天宙平和連合」(UPF)がオンラインで開いた集会に、安倍氏が次のようなビデオメッセージを寄せていたのだ。「UPFの平和ビジョンにおいて、家庭の価値を強調する点を高く評価いたします」家庭を破壊した統一教会を憎悪し続けてきた山上は、その関連団体にエールを送る安倍氏を殺害することを決意したと供述している。そして襲撃に向けた助走を密かに始める。参照:週刊文春 最新号   【独自】安倍元総理射殺事件 「山上容疑者」父の自殺の背景にあった“もうひとつの団体”の名   朝起き会とはどんな宗教団体?実践倫理宏正会の活動内容とは?   《卒アル写真入手》安倍元首相銃殺の山上徹也容疑者の“意外な青春時代”と“事件直前の異変 

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